文学に見るロシアの冬

Тройка зимой. 1888 Nikolai Sverchkov

Тройка зимой. 1888 Nikolai Sverchkov

Nikolai Sverchkov
 ロシアの作家や詩人は、四季それぞれに創作への霊感を与えられたが、冬は特別だ。深い響きの静寂、雪の輝き、疾走するトロイカの鈴の音、橇の滑り木の軋み、雪道を歩く足音、――おそらくロシアの古典作家はみな、それらについて書いている。

 冬を愛する心には、夢想癖、沈思、忘我、どこか「境界をこえて」夢物語の中にいるような気持など、ロシア民族の性格の特徴があらわれている。その一方で、雪嵐、吹雪、厳しい寒さなど、つねに自然の猛威と戦う心の準備が、ロシア民族の性格をより強く毅然としたものに作り上げた。

 そしてもちろん、冬は、クリスマス物語や魔法物語の舞台の季節でもある

 

アレクサンドル・プーシキン、中編『吹雪』(連作小説『ベールキン物語』の

中の一編)

「冬のトロイカ」(1888年)=アレクサンドル・スヴェルチコフ作「冬のトロイカ」(1888年)=アレクサンドル・スヴェルチコフ作

 雪嵐は、プーシキンの中編『吹雪』の主人公たちの運命に介入し、彼らの人生を翻弄する。小説のヒロインは、結婚式の前夜に花婿が猛吹雪に襲われ、立往生して教会へ行く道を見失い、その花婿と結婚できなかった。

 「ところがウラジーミルが村の境界から野原へ出ようとしたとき、風がさっと巻き起こり、ひどい吹雪になって、何ひとつ見えなくなってしまった。道は一瞬のうちに雪に埋まった。あたり一面、どんよりと黄色がかった濃霧にとざされ、その霧の向こうから白い雪片が飛んでくるのだった。天と地はひとつになった。気がつくとウラジーミルは野原に迷い込んでいて、もう一度道へ出ようとしたが無駄だった。馬は盲滅法に歩き回り、ひっきりなしに雪だまりへ乗り上げ、穴へ落ち込んだ。橇はひっきりなしに転覆した。ウラジーミルは方角だけは見失わないようにと努めた。…(中略)…吹雪はおさまらず、空が晴れる気配はなかった。馬はしだいに疲れ始め、ウラジーミルは、絶えず腰のあたりまで雪に埋まっていたが、汗がしたたりおちた」

 

ニコライ・ゴーゴリ、中編『降誕祭の前夜』(連作小説『ディカニカ近郷夜話』の中の一編)

 ゴーゴリ、『降誕祭の前夜』挿絵=ドミトリー・チェルノフ/タス通信 ゴーゴリ、『降誕祭の前夜』挿絵=ドミトリー・チェルノフ/タス通信

 主人公は悪魔の助けを借りて、恋焦がれる難攻不落の女性の心をとらえることに成功した。

 「降誕祭の前日が過ぎ、澄みきった冬の夜が訪れた。星たちが顔をのぞかせた。月は悠然と空に昇り、善男善女と全世界を照らし出した。みんなが楽しく降誕祭の歌を歌い、キリストの名を讃えるためである。寒気は朝よりも厳しくなったが、とても静かで、長靴の下の軋みが半露里離れていても聞こえるくらいだった。農家の窓の下に、まだ若者の群はひとつとして現れず、ただ月だけがそっと窓に顔を覗かせている。まるで着飾った娘たちに、一刻も早く軋む雪の上に駆け出してくるようにと呼びかけるみたいに。そのとき一軒の農家の煙突からもくもくと煙が上がり、空に立ちこめ、箒にまたがった魔女が煙とともに舞い上がった」

 

イワン・トゥルゲーネフ、長編『父と子』

 「冬」=アレクセイ・サヴラソフ作「冬」=アレクセイ・サヴラソフ作

 風景描写の名手トゥルゲーネフも、ロシアの冬の美しさを見のがすことはできなかった。

 「6か月が過ぎた。白い冬になり、そこに伴うのは、雲ひとつない厳寒のきびしい静寂、固く締まった軋む雪、バラ色の樹氷、くすんだエメラルド色の雲、煙突から立ち上り棚引く煙、一瞬開いた扉から吹き出る蒸気のかたまり、まるで何かに咬まれたような上気した人々の顔、凍えきった馬のせわしない足取り。1月の日がもう終わりに近づいていた。夕刻の寒さが、動かぬ空気をさらにつよく締めつけ、血のような夕焼けは急速に色褪せていった」

 

レフ・トルストイ、長編『アンナ・カレーニナ』

トルストイ「アンナ・カレーニナ」挿絵= Shutterstock/Legion Mediaトルストイ「アンナ・カレーニナ」挿絵= Shutterstock/Legion Media

 トルストイが描く荒れ狂う自然は、まるで人物を待ちうけている試練を予告して、その内面の状態を映し出し、人物の運命をあらかじめ告げているようだ。そのとおり、主人公アンナ・カレーニナは、ウロンスキーと最初に話を交わす前に、恐ろしい吹雪に出合う。

 「風はまるで彼女を待っていたかのように、嬉しそうに口笛を吹き、彼女を連れ去ろうとした。しかし彼女は冷たい鉄柱につかまり、衣裳をおさえてプラットフォームへ下りると、車両の陰へはいった。…(中略)…彼女は楽しそうに、雪まじりの凍てついた空気を胸いっぱいに吸い込んで車両のそばに立ち、プラットフォームや明りに照らされた駅舎を見まわしていた」

 「恐ろしい吹雪が巻き起こり、駅舎のすみから、列車の車輪のあいだや、柱のまわりを、ひゅうひゅうと吹き荒んだ。列車や柱や人びとなど、目に見えるすべてのものが、片側から雪に埋まり、ますます深く埋まっていった。吹雪は一瞬おさまったが、また恐ろしい勢いで襲いかかり、面と向って立っていられそうもなかった。…(中略)…そしてちょうどそのとき、一陣の風が、障害物を征服するかのように、列車の屋根から雪を吹き払い、どこかのはがれたブリキ板をばたばたいわせはじめた。すると前方で、泣くような、陰気な調子で、機関車の重々しい汽笛が吠えはじめた。この恐ろしい吹雪のすべてが、今では彼女にとって、以前にもまして素晴らしいものに思われた。彼は、彼女が心で願っていたが理性で恐れていた、まさにそのことを語ってくれたのだ」

 

ボリス・パステルナーク、長編『ドクトル・ジヴァゴ』

「モスクワの通り」(1922年)=セルゲイ・ヴィノグラドフ作  / Getty Images「モスクワの通り」(1922年)=セルゲイ・ヴィノグラドフ作 / Getty Images

 パステルナークが描く厳しい冬の寒さは、窓から外へ流れてくる、灯火やロウソクの明りの姿をとった人間関係の温かさに対比されている。この明りは心を落ち着かせ、冬のあとには必ず春が来ると信じる心を与えてくれる。

 「2度目に外へ出た今になって、ラーラははじめてあたりをまざまざと見回した。冬だった。都市だった。夕暮だった。

 凍てつく寒さだった。割れたビール壜の底のような分厚い黒い氷が通りを覆っていた。息をするのが痛いほどだった。大気は灰色の霜にふさがれ、そのけばだった棘が、ちょうど凍りついた襟の毛皮がラーラの口もとにちくちくと入り込んでくるように、顔をくすぐり、刺すように思われた。…(中略)…ときおり霧の中から、通行人たちの、ソーセージのように赤い凍りついた顔や、つららで髭面のようになった馬や犬の鼻面がぬっとあらわれた。氷と雪の層に厚くおおわれた家々の窓は、まるで白墨でぬりつぶされたようで、明りの点されたヨールカ(樅の木)の色とりどりの照り返しや、浮かれさわぐ人びとの影が、その不透明な表面を動き、まるで通りにいる人たちのために、幻燈の前に吊るした白いシーツに、おぼろな映像を家の中から映し出しているみたいだった」

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