ロシア東部の発見者たち

左から、ウラジーミル・アルセーニエフ、デルス・ウザラー、その他の探検の参加者

左から、ウラジーミル・アルセーニエフ、デルス・ウザラー、その他の探検の参加者

 謎の地・極東の開発の歴史には、勇敢な旅行家、最初の発見者など、多数の人々の名が刻まれている。

 「私の前にはいたのは、生涯、タイガ(密林)に暮らし、都市文明につきものの悪徳とは無縁な、野人の狩猟家だった」。1900年に極東調査のために首都を離れたペテルブルグの将校ウラジーミル・アルセーニエフが、デルス・ウザラーという名の土着の案内人を最初に見たとき、彼はそんな様子だった。

 ナナイ人の案内人デルスは、アルセーニエフを死の危険から救い、2人は共同でイノシシ狩りをし、トラから難を逃れ、中国の森の匪賊との射撃戦に加わった。デルスは、異教徒の物の見方がキリスト教的公理や「緑の」思想と絡み合った「タイガの哲学」をアルセーニエフに教えた。自然は守らねばならない、身近な者は助けねばならない、まわりのすべては生きているという哲学だ。岩や川や木々や風など、すべてをデルスは「ヒト」と呼ぶ。太陽についてデルスは言っていた。「最も大切なヒト。太陽がいなくなると、まわりのすべてもいなくなる」と。

 この異境の地である沿海地方へは、中部ロシアからの移住者らが何カ月もかけて辿り着いた。ここでは密林(タイガ)をトラが歩き回り、コルク樫が生い茂る。この土地でウラジーミル・アルセーニエフは、軍務と学術調査を両立させた。彼の基本的な課題は、起きるかもしれない対日戦争の観点からの地域研究だったが、先住民の生活と極東の自然の調査研究に没頭した。デルスは賢く高潔なタイガの住人で、この人物には、デルチュ・オジャル、その他、アルセーニエフの案内人をつとめたナナイ人たちの特徴が合わさっていた。デルスは、アルセーニエフの沿海地方探検の書物である『ウスリー紀行』、『デルス・ウザラー』に登場する。日本の黒澤明監督が1975年末に撮影した映画は、アカデミー賞外国語映画賞を受賞した。

 

「大尉」と「野人」

 極東の異民族――ウデゲ人、ナナイ人、オロチ人など、先住少数民族一般――に、アルセーニエフは特に注目した。彼は共感と尊敬の気持でそうした民族に接し、彼らの伝統的な生活様式を保存しようと努め、中国人から彼らを守った。沿海地方の土着民は彼を、「判事」または「長老」を意味する「チヴァンゲ」という名で呼んだ。デルスはアルセーニエフを「大尉」と呼んだが、ここではどんな官吏もそう呼ぶ習わしになっていた。

 ヴェニュコフ、プルジェワリスキー、ゴンチャロフ、チェーホフら、博物館学や文学の先達の伝統にしたがって、アルセーニエフは極東開発に力を貸し、同世代の学者や作家たち全体に影響を与えた。情熱的な知識人であった彼は、専門的著作も一般向け著作も残したが、それらは狭い規律や局地的問題の枠を大きく越えていた。極東の古代史や極東諸民族の起源、社会論、経済論についても執筆したのだ。

 アルセーニエフは、極東の森林を密伐採人や無秩序な伐採から守るために多くのことを行った。すでに百年前に彼はこう警告している。「獣や森が豊かに育つウスリー地方は、そう遠くない将来に砂漠化するにちがいない」。アルセーニエフのこうした見解に確実に影響を与えたのがデルス・ウザラーだ。「この野人は、自然保護や分別ある資源利用に関して、教養ある文化人を自称する多くのヨーロッパ人よりも進んでいる」と将校アルセーニエフは忠実な案内人について書いた。「豊富な知識をもつ教養人も『原始的な野人』も、生活の最重要問題の解決からはほど遠いところにいた」と、ロシア極東の最も著名な研究者として歴史に名を残したアルセーニエフは言葉を添えている。

 

コントラストの地

 アルセーニエフの先達であるニコライ・プルジェワリスキーは、沿海地方のウスリー密林(タイガ)への旅を「力の最初の試み」と呼んだが、プルジェワリスキーが歴史と学界に名を残し、沿海地方が研究者らの関心を呼ぶには、この2年にわたる1度の旅だけでも十分だった。向う見ずなプルジェワリスキーはいくつもの新種動物を発見し、莫大な量の植物標本を採集した。彼の言葉によれば、そのために「悪魔も知らぬ奥地へ行った」という。シホテアリニ山脈を2度横断して、この山脈の最初の発見者となり、ハンカン湖を経由して、ウスリー川沿いに、それまで知られていなかった森の小道を通って「太平洋岸」へと下ったのだ。

 沿海地方の鮮やかな自然の特性に目をとめたのが、まさしくニコライ・プルジェワリスキーだった。動植物界の南方種と北極種の結合という特性は、この地方を今日に至るまで、地球上の他のどの地域とも似ていない土地にしている。「不慣れな眼には、こんな北と南の種の混合を見るのは、なんとも不思議だ」とプルジェワリスキーは書く。とくに彼を驚かせたのは、ブドウの蔦が絡みつくモミの姿であり、あるいはセイヨウスギやトドマツの隣りに生え育つコルク樫やクルミの木だった。狩猟犬がクマやクロテンを探し出すと、すぐそばで、大きさも力もそれに劣らない、ベンガルのジャングルに棲むトラを見ることができる。3月中旬にハンカ湖の岸辺に飛来する日本のトキ(朱鷺)はここで、冬期だけ北からここへ飛来するシロフクロウに出合うのだ。

 

もっと読む:極東ロシアで人命を救う数々の灯台>>

このウェブサイトはクッキーを使用している。詳細は こちらを クリックしてください。

クッキーを受け入れる