世界を変えたロシア知識人の夢

ドミートリイ・メンデレーエフ=

ドミートリイ・メンデレーエフ=

Lori / Legion-Media撮影
 ジェームズ・ワトソンがDNAの構造を発見できたのも、ニールス・ボーアが原子構造の惑星モデルを案出できたのも、エリアス・ハウがミシンを開発できたのも、みな、夢のお陰。ロシア人が睡眠中に成し遂げた天才的発見の数々を、ロシアNOWがご紹介する。

ドミートリイ・メンデレーエフ

 化学者メンデレーエフは、化学元素をどのように配列すべきか、長らく頭を悩ませていた。ある日、夢を見た。そこには元素の周期表があった。元素は当初彼が考えていた、重い原子から軽い原子へという順番でなく、軽い原子から重い原子へという順番で配列されていた。

 メンデレーエフは自らの発見について、執拗な取材に、次のように答えている。「夢の中で表を明視する。元素たちがしかるべき形に配列されている。目を覚まし、紙切れに書きとめ、また寝た。あとで修正が必要とわかったのは、ほんの一箇所だけだった」

 1869年、ついにメンデレーエフは化学元素の周期律を完成させた。

 

ニコライ・リムスキー=コルサコフ

 大作曲家リムスキー=コルサコフは1880年、転居先のロシアの村ステリョヴォで、最初の夏を過ごしていた。この地で彼は、のちパリ、ニューヨーク、ベルリン、ローマで喝采を浴びることになる、オペラ「雪娘」に取り組んだ。

 本人の述懐によれば、「寝ているときでも意識下でメロディーが湧き出していた」。これほど速やかに、これほど苦労なく仕上がった作品は、後にも先にも「雪娘」だけだという。

 オペラの初演は1882年、サンクトペテルブルクのマリンスキー劇場で。

 

オレグ・アントーノフ

 高名な航空機設計士アントーノフは、航空機「アンテイ」の尾翼の形状を考え出しあぐねていた。「考えても、計算しても、描いてみても、どうしてもしっくりこない。ある晩、夢で、目の前に、不思議な形状の尾翼がはっきりと描き出された。目を覚まし、灯りをつけ、その奇妙な構造を紙にスケッチして、また横になり、寝た。翌朝それを見て、私は震えた。どうしてこれまでこれを考えつかなかったのか、と」

タス通信撮影

 1965年、パリの​​航空展で、「720人の乗客を収容し、80トンの貨物を運ぶ」世界最大の航空機、「アンテイ」が発表された。

 

アレクサンドル・プーシキン

 大詩人プーシキン、本人の弁によれば、その最高傑作「リキニウス」と「預言者」は、他ならぬ睡眠中に書かれたものである。

 詩人については、生前中からこんなアネクドートがあった。「プーシキンがデカブリスト(1825年12月、ツァーリ打倒に立ち上がった貴族革命家たち)に加わらなかったのは、彼が寝ながら執筆していたからだ」というもの。

 伝記作家によれば、詩人はデカブリスト蜂起の前夜、「歯が5本抜ける」夢を見た。翌朝、詩人の友人であったデカブリストが5人、処刑されたのである。

 

カルル・ロッシ

 カルル・ロッシはイタリア出身のロシア人建築家。パーヴェル1世皇帝の子息ミハイル皇子のために、ペテルブルクにミハイロフスキー宮殿を建造した。伝説によると、ロッシは、その青写真を夢で見た。翌朝にはもう、新古典様式の宮殿がとるべき外観が、はっきりと理解されていた。

Lori / Legion-Media撮影

 ロッシは「アンピール様式(帝政様式)」の創始者の一人と目されている。ペテルブルク市内では、他に、アレクサンドリンスキー劇場や、参謀本部をはじめとする宮殿広場の建築アンサンブルといった、市を代表する建築が、ロッシの作品に数えられる。

 ミハイロフスキー宮殿は1895年に「ロシア美術館」となっている。

 

アントン・チェーホフ

 弟のミハイル・チェーホフは回想録『チェーホフをめぐって』の中で、次のエピソードを紹介している。「メリホヴォにいた頃、アントンは、過労で神経失調に陥っていた。眠りに落ちたかと思うと、すぐに「小突かれ」、恐慌のうちに目を覚まし、また奇妙な力でベッドに横倒しにされた」

 そんなある日、チェーホフは恐ろしい夢を見る。僧侶の夢。あの名編「黒衣の僧」のもとになる夢だ。弟のミハイルは書いている。「印象は相当強烈だったらしく、兄はその後も長らく僧侶のことを話していた。その体験をもとに、あの物語を書き上げるまでの間は」

もっと読む:ロシア人の半数が信じる10の縁起>>>