ロシア美術館
ロシア美術館の昨日と今日
ロシア美術館は、1898年にそのために特別に購入されていたミハイロフスキー宮殿に正式開業したのだが、このような美術館の創設の必要性はついてはずっと前から語られていた。
国立ロシア美術館は今日、立派な芸術の複合施設に変貌を遂げている。本館のミハイロフスキー宮殿には、1914年から1916年にかけて、レオンチー・ベノワ(有名な画家アレクサンドル・ベノワの弟)によって新たな建物が増築された。この建物はベノワ館と呼ばれている。1990年代初頭にはミハイロフスキー(技師)城、さらに大理石宮殿とストロガノフ宮殿が分館として加えられた。
ドイツの有名な収集家でメセナのペーター&イレーネ・ルートヴィヒ夫妻の支援を受けて、世界の20世紀美術を紹介するルートヴィヒ美術館が1995年、大理石宮殿に登場した。21世紀初頭には夏の庭園、ピョートル大帝の「夏の宮殿」、ピョートル大帝の「小屋」も加えられた。
美術館は2003年、仮想分館の開設を始め、うち37館は海外で営業している。
ちなみに、森喜朗首相とウラジーミル・プーチン大統領は15年前、ロシア美術館で二国間会談を行っている。
数世紀のロシア
ミハイロフスキー城には19世紀末、最初の展示品として、エルミタージュ美術館から絵画が運ばれた。イヴァン・アイヴァゾフスキーの「第九の波涛」とカール・ブリュローフの「ポンペイ最後の日」は、このようにして所蔵されることとなった。また、ツァールスコエ・セローに保管されていたアレクサンドル3世のコレクションや、芸術アカデミーの所蔵品も運ばれてきた(ロシア美術館には1922年、芸術アカデミーのコレクションすべてが移された)。
ロシア帝国の崩壊にともない、運命の皮肉のごとく、皇族や近しい関係者(ストロガノフ伯爵やシェレメチェフ伯爵など)のかつての所有物や、修道院の古代ルーシの美術品がここに運ばれてきた。
アンドレイ・ルブリョフ(ウラジミール州の生神女就寝大聖堂の聖障にあったイコン)、ディオニシイ(ヴォログダ州の聖母フェラポントフ修道院生神女誕生大聖堂の聖障にあったイコン)という2人の偉大なるイコン画家の作品も、ロシア美術館の誇り高き所蔵品となっている。
イリヤ・レーピンの写実主義的な「ヴォルガの船曳き」、またこれとは雰囲気の異なるヴァレンチン・セロフの「イダ・ルビンシュタインの肖像」も目録に加えられた。
ロシア美術館の明日
ロシア美術館に1926年、新潮流部門が創設された後(ボリシェヴィキによって閉鎖された芸術文化博物館のコレクションがほぼ丸ごと移動してきたもので、前衛芸術家の努力によって実現)、象徴主義から前衛主義までの現代美術の作品も集められるようになった。
カジミール・マレーヴィチの相続人は、マレーヴィチの絵画の多く(全156作品)をここに譲渡した。その一部はアムステルダム市立美術館やロンドンの「テート・モダン」で最近行われた企画展に出品された。また、有名な実験芸術家パーヴェル・フィローノフがレニングラード包囲戦で死亡した後、姉が弟の作品や手記を守るために、美術館に渡した。
コレクションは増え続けている。美術館の広報部によると、現在の所蔵数は40万点を超えており、120周年の大企画展「寄贈品と調達品」に向けた準備が進められている。この企画展では、1998年から集められた19世紀の芸術家の作品も展示される。ボロヴィコフスキー、アイヴァゾフスキー、レーピン、シーシキン、ゴンチャロワ、クストディエフ、セレブリャコフ、スジェイキンなどのロシアの有名な芸術家の作品を見ることができる。
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