東京正教神学院の神学生

オシチェプコフは、東京正教神学院でもっとも有名な卒業生の1人。=写真提供:Pravmir.ru

オシチェプコフは、東京正教神学院でもっとも有名な卒業生の1人。=写真提供:Pravmir.ru

モスクワ市の「A.ソルジェニーツィン亡命ロシア人会館(Dom Russkogo Zarubej'ya Im. A. Soljenitsyna)」で、「ロシア人神学生のできごと」という不思議なテーマの企画展が開幕した。展示品は1900年代初めの「東京正教神学院」の神学生に関する資料。神学生の歩んだ人生は、波乱に満ちた推理小説の題材になってもおかしくない。

劇的な運命の交差  

 企画者によると、純粋な人間の願い、国民の悲劇、個人の利益、複数の特殊機関の利益などが、彼らの運命には劇的に絡み合っているという。神学者の名前のほとんどが専門家にも明らかになっていないが、神学生は20世紀初めの極東の重要なできごとの証人というだけでなく、積極的な関与者でもあった。残されている多くの秘密は、これから解明していかなければならないだろう。

 日本とロシアの公文書館には、東京正教神学院のロシア人神学生に関する大量の資料が眠っている。ロシア側の情報の多くは今でも機密扱いだが、研究者の努力によって、日本で保管されている文書の閲覧が可能となり、一部神学生の子孫も判明した。

 これによって、写真、文書、オーディオ・ビデオ資料、神学生の所有物などを見学することが可能となった。

 

サンボから神学生へ 

 日本研究者のアレクサンドル・クラノフ氏が1998年、サンボ(ロシアの格闘技)の発祥を明らかにしようと決意したことから、すべてが始まった。この調査でヴァシリー・オシチェプコフという人物について知り、その人生を研究する中で他のロシアの神学生の存在も知ることとなった。

 オシチェプコフは、東京正教神学院でもっとも有名な卒業生の1人。1907年8月31日に東京に来た。他の学生とは異なり、講道館で柔道も学んでいる。

 ソ連に帰国した後、柔道を広め、新格闘技を考案。オシチェプコフが亡くなって(1937年10月10日没)10年が経過した後、この格闘技はサンボと名付けられた。オシチェプコフは1917年、初の新格闘技団体戦を行い、1932年には新格闘技を「ソ連労働・防衛準備」プログラムに加えることに成功した。

 オシチェプコフは1937年に抑圧対象となって逮捕され、死亡した。親族や弟子はオシチェプコフに関する資料を大量に保管し続け、孫娘のタチヤナ・クセンゾワさんが今回、資料を提供した。これも展示会で見ることができる。

 

6人の人生の道のりを完全に再現 

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 クラノフ氏はこう話す。「24人分の資料から、6人の人生の道のりを完全に再現することができた。そのうちの1人、イシドル・ネズナイコさんはとても長生きをしたため、孫息子のヴィクトル・ネズナイコさんに神学院での学習、日本人教師との相互関係、初めてのロシア文学の翻訳などについて語ることができた。イシドルさんのおかげで、神学生に関する情報をたくさん収集することが可能となった」

 今日ほとんど知られていない、残りの神学生の運命について、どれほど解明することが可能なのだろうか。ロシースカヤ・ガゼータ(ロシア新聞)の記者が、展示会の企画者でもあるクラノフ氏に聞いたところ、次のような答えが返ってきた。

 「解明することは十分に現実的だが、相当努力をしなければならない。まず、ロシアの公文書館での閲覧が必要。これは今日、非常に困難。ロシア連邦国立公文書館や極東公文書館など、許可してくれたところもあれば、それがほぼ不可能なところもある。世界中の熱心な人々が手伝ってくれている」