新年から旧正月までぶっ通し

マキシム・ブリノフ/ロシア通信撮影

マキシム・ブリノフ/ロシア通信撮影

新年は世界的な祝いごとだが、ロシアでは国家的な祝日に近い。お祝いが8日間続くこともあれば、20日間続くこともある。

新春=新年 

 ロシアの異教時代の先祖は、冬至「コリャダー」を祝った。古代スラヴ人は12月25日から1月6日までコリャダーを祝っていたが、その数世紀後、この期間に 新年が加わる。コリャダーは12日間祝われ、12人の祭司が儀式をとりしきり、12束の穂束で豊作を占い、12基の井戸から占い用の水をくんだ。このお祝いに重要な数は12。

 ウラジーミル1世が、988年にキエフ大公国の国教をキリスト教に定めた後、新年はユリウス暦で祝われた。ただし、その日は3月1日。雪がとけ、春が来るのだから、それを新年ととらえるのも理屈にかなっている。多くの異教議式は、自然にキリスト教の儀式へと変わっていったが、一部は現在でも残っている。

「コリャダー」=イゴール・エルモロフ/ロシア通信撮影

 

正月も“改革”したピョートル大帝 

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 14世紀末(研究者の意見は異なる)、正教会は新年を3月から9月に変えた。現代のロシアの新年を祝い始めたのは1699年。ピョートル1世がヨーロッパに合わせよと命じた時。ヨーロッパでは、この数十年ほど前に、現代のような祝い方を始めた。ピョートル1世の命令には、「マツ、エゾマツ、ネズの幹や枝を装飾する」ことも含まれていた。また、貴族や商人の邸宅の庭では、小銃や火縄銃の祝砲を鳴らし、その他の比較的貧しい家では、尾や藁(わら)を投げ、樹脂樽を置き、祝いのたき火を起すよう命じていた。だがピョートル1世がヨーロッパ式の新年の祝い方を採用している間に、ヨーロッパはユリウス暦からグレゴリオ暦に 移ってしまう。ロシアは2週間ほど遅れをとった状態を続け(1世紀に約1日ずれていく)、1919年にようやくグレゴリオ暦に移行した。ロシアには現在、新暦とその13日後の旧暦の、2回の新年が存在する。

 

 

ツリーの起源 

GettyImages/Fotobank撮影

 クリスマスツリーの装飾という伝統が、いかにしてロシアで生まれたのかについては、はっきりとわかっていない。ヨーロッパでも、それほど古い伝統ではない。木をリボンで飾るという古代の習慣は、キリスト教の始まりとともに異教の習慣と見なされるようになった。17世紀初めにようやく、ヨーロッパのアルザスで新年のツリー装飾の伝統が再開された。ニコライ1世に嫁いだプロイセン王国のシャルロッテ妃(アレクサンドラ・フョードロヴナ)が、1800年代初めにこの習慣をロシアに持ち込んだという説と、ドイツからの移民が1840年代に持ち込んだという説がある。いずれにせよ、ドイツから伝わり、国民的な習慣となったようだ。ロシアほど新年前にクリスマスツリーが売れる国はない。天然にしろ人工にしろ、ほぼどの家庭にもある。

 

ソ連式クリスマス:星は星でも 

 だがロシアでは、クリスマスツリーが禁止されていた時代があった。異教の習慣だからというわけではない。第一次世界大戦中の1916年、ロシア正教会の 聖務会院は、「ドイツの習慣にしたがった」クリスマスツリーを禁止した。その1年後にロシア革命が始まり、ボリシェヴィキが政権に就くと、無神論を唱え、あらゆる問題について教会と争い始めた。だが、クリスマスツリーについての両者の意見は一致。教会はこれを敵国の習慣として禁じ、ボリシェヴィキは宗 教行事であるクリスマスの習慣として禁じた。

 クリスマスツリーが再び許可されたのは1928年。国の計画経済により、翌年にはランプ工場が祝日用ツリーのランプの製造を開始した。モスクワのケーブル工場は、祝日用ツリーの星の製造を開始。ただしこれは、ベツレヘムの星ではなく、ソ連の星。1960年代に入ると、人工ツリーが大量生産されるようになった。葉が枯れたりしないのはいいが、祝日の雰囲気に欠けていた。

 ロシアのクリスマスの特徴は、子どもたちにプレゼントを贈るのがサンタクロースではなく、ジェド・マロースであること。これもソ連式の祝い方として、1928年に現れた。聖人ではなく、ロシア民謡のジェド・マロースと、その孫のスネグーロチカ(雪娘)が来るのである。見た目はサンタクロースとそれほど差はないが、ひげはより長く、ロシア語を話す。

ロシアのクリスマスの特徴は、子どもたちにプレゼントを贈るのがサンタクロースではなく、ジェド・マロースであること=ダヴィド・ショロモヴィッチ/ロシア通信撮影

 

旧暦の新年まで宴は続く 

 グレゴリオ暦に移行したのが遅かったため、新暦の12月31日と1月1日、旧暦の1月13日と14日の2回の新年が国で祝われている。現在、旧暦の新年は廃れつつあり、祝日用の映画が放送され、新年のコンサートが行われる程度だ。

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 それでも旧暦の新年があるおかげで、祝日が2週間かそれ以上続く。12月25日のクリスマスから始めて、1月1日の新年、1月7日の正教のクリスマス、1月14日の旧暦の新年。この期間ずっと、祝い料理の「オリヴィエ」サラダと「ソ連のシャンペン」が盛り上げる。「オリヴィエ」サラダはソ連時代、フランスのサラダだと考えられていた。ところが東西の”鉄のカーテン”がなくなり、ロシア人がフランスに行ってみると、フランス人はこのサラダを知らなかった。 このサラダを考案したのは、モスクワの「エルミタージュ」レストランで働いていた、ベルギー人のルシアン・オリヴィエ料理長。

 「ソ連のシャンペン」は、国がなくなったために、あまりでてこなくなった。シェンペンをつくる権利があるのは、フランスのシャンパーニュだけ。昔は国際条約に違反していたわけだが、今は違う。ローマ字表記の「ソ連のシャンペン(Sovetskoe Shampanskoe)」はなくなったし、ロシア語のラベルも珍しくなったから。今やこれは単なる発砲ワインの代名詞にすぎない。