U-2撃墜事件のパイロットに判決

飛行中のU-2 写真提供:wikipedia.org

飛行中のU-2 写真提供:wikipedia.org

1960年の今日、8月19日に、U-2撃墜事件の米パイロット、フランシス・ゲーリー・パワーズに対し、スパイ活動で有罪の判決が下され、シベリアで禁固10年の刑を言い渡された。パワーズは、62年にスパイ交換で釈放されたが、この事件は、米ソ冷戦のピークを象徴する事件の1つとなった。

 ロッキードU-2は、F-104をベースに開発された偵察機で、高度25000メートルの成層圏を飛行できる。1957年に配備され、現在も運用され続けている。

 U-2開発の目的は、当時宇宙開発でソ連に遅れをとっていた米国が、ソ連の戦略ミサイルを監視することだった。

 当初ソ連には、高高度を飛ぶU-2を迎撃できる戦闘機も地対空ミサイルもなかった。だが、やがてS-75地対空ミサイルが開発、配備され、1960年5月1日のメーデーに、パワーズが操縦するU-2を、スヴェルドロフスク州上空で撃墜することに成功する。

 パワーズは、パラシュートで脱出したものの、村人に捕まり、裁判にかけられた。

 

米国の反応

 最初、米国はスパイ行為を否定していた。ところが、パワーズが自白すると一転、アイゼンハワー大統領は、「ソ連に先制・奇襲攻撃されないために偵察を行うのは、米国の安全保障にとって当然。パールハーバーは二度とご免だ」と発言した。

 ソ連の指導者フルシチョフは、米国に対して謝罪を要求したが、アイゼンハワーが拒絶したため、5月16日からパリで行われるはずだった米英仏ソ首脳会議はお流れになり、ソ連はアイゼンハワーの訪ソ招請も取り消した。

 こうして、前年59年のフルシチョフ訪米で一時もたらされた緊張緩和は吹き飛び、62年10月のキューバ危機に向けて、再び冷戦が激化していく。

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