自国の軍隊を保有することの禁止は、そもそも憲法の基本的原則の一つであり、数年後に、それは、国外で何らかの行動を実施する権利のない自衛隊の容認にまで緩和された。安倍晋三首相は、地域や世界における抜本的変化を引き合いに出しつつ、そうした制限から脱することを欲している。修正は控え目なものとされているが、問題は変更の内容ではなく原則であり、自明の理からの最小限の逸脱でさえも、先例を生むことになる。
日本国内の議論は、戦後の世界秩序の行方に関連したプロセスのエレメントである。この秩序は、やはり70年前に国際連合の創設とともに生まれた。
世界秩序は、戦争の結果の一定の道義的政治的解釈に立脚している。欧州では、1990年代にその解釈が疑問に付され、ファシズムとコミュニズムの同義性を意味する「二つの占領」という東欧の考え方が、ますます大きな役割を演じはじめた。旧世界(旧大陸)においてこのプロセスは強まっており、それは、グローバルな機構へ影響を及ぼさずにはいない。
昨年より、ロシアと反ロシア諸国は、異なる観点から、戦後の世界秩序を乱しているとしてとくに激しく非難し合っている。
ロシアは、西側はヤルタ・ポツダム体制の土台である国益の範囲の相互の考慮および均衡のルールを蔑ろにした、と考えている。欧州および米国では、ヤルタの講和はもはやほとんど罵りの対象であり、ロシアは1945年以来初の武力による領土の拡大の先例を創り出した、と繰り返し述べられている。
アジアの状況も、それに劣らず興味深い。そこにも、ニュルンベルク裁判に似た裁判があったが、欧州のように道義的政治的一義性が獲得されることは、決してなかった。
前世紀のイデオロギー対立の時代、アジアの「異文」は、主な対立が繰り広げられたのがこの地域ではなかったため、抑えられたが、現在、それらは、表面化しつつある。
「歴史の政治(ポリティックス・オブ・メモリー)」(この用語は、ポスト共産主義世界において当時の目的のために歴史が利用されたことに関連して現れた)の最前面に躍り出たのは、かつては第二次世界大戦にかなり無関心だった中国である。日本軍の降伏を受け入れたのは、蒋介石の国民党政府であり、中国共産党ではない。しかし、昨年より、第二次世界大戦終結の日にあたる9月3日は、抗日戦争における中国人民の勝利を記念する国家の祝日となっている。
歴史面の抗日的要素は、制度的に定着されている(2014年には、南京大虐殺の犠牲者を追悼する国家の記念日も制定された)。このほか、ロシアの中国学者エヴゲニー・ルミャンツェフ氏が指摘するように、中国は、第二次世界大戦における中国の役割に関するイメージを世界の政治と経済における今の中国の存在感に見合ったものにしようとしている。創り出されるナラティヴ(物語)は、日本を潰滅させた主な手柄を米国やソ連にではなく中国に与えている。
強化されつつある露中のパートナーシップの枠内で、中国は、事実上、欧州における「結果の見直し」の阻止をめぐる呼応的連帯と引き換えに、ロシアでお馴染みの解釈とは異なるアジアにおける戦争の中国流の解釈を受け入れるよう提案している。
提案は、非対称のものである。西側の軍事的歴史的行動の領域において、中国の支持は、ロシアに多くのものを与えない。この問題に関する中国の立場は、欧州にとってどうでもよいのだから。一方、アジアの「戦線」においては、歴史的なルーツをもつ紛争へロシアを引き入れることは、具体的困難を孕んでいる。というのも、ロシアは、今後、世界のその部分においてはるかにより活発に行動し、そこでさまざまなプレーヤーとの均衡のとれた関係を構築するつもりであるから。
欧州とアジアにおけるプロセスは異なるものの、トレンドは同じである。かつての敗戦国であるドイツと日本は、全体として(各様に)前世紀の破滅に関連した頁をすでに捲られたものとみなしている。かつての戦勝国は、冷戦後のそれぞれの経験の如何によってますますさまざまに世界秩序を解釈している。
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