セルゲイ・ナルイシキン下院議長
コンスタンチン・ザヴラージン撮影/ロシア新聞広島、長崎への原爆投下から70年が経とうとしている、その前日となる8月5日、ロシアはこの行為を国際法廷で裁くことを提案した。セルゲイ・ナルイシキン下院議長は、モスクワ国際関係大学での講演のなかで、こうした考えを示した。
「日本の都市への原爆投下は、人類史上唯一のケースだが、未だに国際軍事法廷の裁くところとはなっていない――今の今にいたるまで。だが我々は、人類に対する犯罪には時効がないことを知っている」。ナルイシキン議長はこう述べたうえ、「ロシア史にとっても、広島、長崎の記憶は、特別な区切りをなしている」点を強調した。「なぜなら、この原爆投下は、単に第二次世界大戦において日本を降伏に傾かせるだけでなく、当時の連合国の一員であったわが国、ソ連に衝撃を与えることを狙ったものだったからだ」
一方、ロシア外務省は、当時のソ連外交の特別な役割に注意を向ける。露外務省第3アジア局日本部のアレクサンドル・イルイシェフ=ヴヴェデンスキー部長は、実は当時、「複数の文書の示すところでは、戦争を終結させる現実的な可能性があった」と述べ、日本はほぼポツダム宣言の諸条件に賛成し降伏の用意があった、と指摘する。
まさにこの点を、当時の駐ソ連日本大使が、本国に7月末に打電していた。だが、日本の最高指導部が大使の提案を却下したという。
この駐ソ日本大使の言葉によると、ソ連は外交努力を継続しており、東郷茂徳外相も、日本はソ連の提示する条件での降伏に賛成すると書いてきたという。
イルイシェフ=ヴヴェデンスキー部長によれば、米国が日本外務省の通信を傍受し、「それが、広島への原爆投下に向けての“最後の一滴”になった」可能性も排除できない。
原爆投下のような行為は、ポツダム宣言に矛盾していた。同宣言には、一般市民における犠牲を容認せずとの連合国の意向が記されていた――。これが今のロシア外務省の考えだ。
第二の問題点は、原爆投下が、他の連合国の承認を得ておらず、「独走」だったこと。
また同部長は、8月6日に、ロシア歴史協会がそのWebサイトに、ロシア外務省が提供したユニークなアーカイブ資料が掲載されると伝えた。すなわち、日本のソ連大使館の大使館員が行った報告である。「これは、原爆投下の惨状に関する、人類初の生きた証言だ」。イルイシェフ=ヴヴェデンスキー部長はこう説明した。
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