−来日されたきっかけは?
16歳の時にアニメ「美少女戦士セーラームーン」を見たのが、そもそもの始まりでした。ロシアでは、この種の外国のシリーズ物は、吹き替えではなくボイスオーバーにするのが普通です。「セーラームーン」も例外ではなかったので、日本語が聞こえてきて、びっくりしました。私がそれまでに見たアニメは全部、背景に英語が流れて聞こえていましたから。日本語という言葉の存在に気が付いたこと、それが私の人生を変えたといっても過言ではないですね。
それは、ちょうどロシアでもインターネットが登場し始めた頃で、たしか1997年でした。その後私は、インターネットで同好の士を見つけ、地元の「シベリア・北海道」文化センターのアニメクラブの部長になりました。大学でITを学んでいたので、自分のWebサイトも立ち上げました。自分が歌った日本のアニソンをサイトに公開し、アニメにおける「カワイイ文化」について論じました。そして英語版のサイトを開設したところ、日本の方々がそれに注目してくださったのです。それは2000年のことで、以来、私には、日本人のファンができたという訳です。
−ジェーニャさんの来日にも、そうしたファンの後押しがあったのですね?
そうなんです!応援していた日本の皆さんのお陰で一気に事が運び、私が日本で知られ、日本のテレビ局が招待してくれることになり、ファンの方々が渡航費の一部まで集めてくれたのでした。
2002年、私は父と二人で、一週間の招待で来日しました。連日、スケジュールが組まれていて、当然ですが、秋葉原観光やプロの声優の仕事ぶりに接するためのスタジオ見学なども含まれていました…。何もかも夢のようで、すっかり有頂天になり、まったく帰りたくありませんでしたね(笑)
−そして、この旅行の後にまた日本に戻ってくる決心をされたのですね?
はい。その時すでに、先ほどお話に出た地元の文化センターで日本語を学んでいました。日本に一週間滞在してみて、もしも自分が何かを達成したいならば、本腰を入れて日本語を学んで、歌もうまくならなくては、と思いました。
「欲しいものがあるなら、自分で行動すること」 私のモットーの一つです。
私は大抵のことは自分でやろうとします。声優業界も、声優事務所に入ったからって安心していられないです。 オーディションは受けさせくれることもありますが、自分で築いた人脈がなければ、何かを達成することはできない、というのが現実です。そういう周りの方々にサポートしていただいて、お仕事を紹介していただいてきたのです。「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」の時が正にそうで、別の作品で言語・文化監修をやっていたご縁で、役をいただくことにも繋がりました。
−それからもう10年になりますが、故国のどんなものに今も恋しさを感じますか?
最初のうちは、もちろん、「あの場所へ行きたい」とか「あの料理が食べたい」などと思いました。けれども、日本での暮らしが長くなればなるほど、ロシアでの好きなものや場所が少なくなってきます。逆に言えば、日本の好きなものが増えています!今は、帰国すると、塩漬けのキノコやニシンを買ったり「オリヴィエ」サラダを食べたくなったりします…。でも、東京でもお店に行けば食べられます。
ロシアに帰る時に一番大事にしているのは、親戚や友人と会うことですね。
−お仕事についてお尋ねしますが、これまでに演じられた人物もしくは役柄で何か好きなものはありますか?
正直なところ、主人公や主要なキャラクターを演じることは、それほど多くありません。普通は、小さな役や端役を演じています。ロシア語の言語監修としての仕事が非常に多いのですが、最近、「怪盗ジョーカー」というアニメのレディー・ダウトという、大きな役を演じる機会に恵まれました。悪役なんですが(笑)。もうちゃんとした役はもらえないから、普通に会社に勤めようかと諦めかけていた時に、その役をもらったのでした。
イワン・シャポヴァーロフ撮影
実際、声優の仕事は、運もとても大事で、宝くじのようなものです。志望する人はたくさんいても、当たる人はほんの一握りですから。
−あなたには、交流サイトに何万人ものフォロワーがいますが、人気とともに誇大妄想狂もありますか?
さあ、どうでしょう。「NHKのロシア語講座に出ているジェーニャさん?」と道で声をかけられることがよくありますし、ロシアに興味がある人なら、私のことが分かります。自分の人気を測る術など知りませんが、もっと高いといいですね!(笑) 来日したとたんにスターになるなんて、ありえませんよ! 経験上、ゆっくりと一つ一つ成果を積み重ねていくことが大切だと思います。日本人同士でも、すぐには友達になれませんよね。時間をかけて、仲良くなって行くのです。仕事も同様で、10年も働いてあちこちで頑張ってきたんだから、そろそろお仕事も任せていいかも?、といった具合ですね。日本人でも成功するのが難しい職業なので、認めてもらうまでは、時間がかかります。
−おしまいに、「オリンピックの」ジェーニャ、2020に関しては、いかがでしょう?あなたはその頃どうされているでしょうか?
東京オリンピックは、私の大きな目標です。それまでに、日本でもっと有名になりたいです。それがだめなら、OLになるしかないですね!(笑)
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