東京でロシアを感じられる場所

ボルシチ、「バイカル」=

ボルシチ、「バイカル」=

ナタリア・ススリナ撮影
 東京は、コスモポリタンの街。ここには、東京の総人口の3%にあたる約40万の外国人が住んでいる。けれども、そのうち、ロシア人はわずか2千人で、これは、モスクワ在住の日本人を下回る。それでも、東京には、ロシアやロシア文化の薫りが漂う場所がそう少なくない。多くのカフェで、ボルシチを賞味できるが、それは、ロシアのボルシチとは似て非なる肉入りトマトスープといった趣き。では、本場のボルシチが食べられて、黒パンやシプロートィ(オイルサーディン)が買えて、ロシアのシャンソンさえ聴ける、とっておきのスポットをご紹介しよう。

ボルシチ、ゴルプツィ(ロールキャベツ)、ロシアンティー

 国外で最初のロシア料理店は、日本にお目見えした、と考えられている。それは、1879年に北海道の函館に開かれた「五島軒」。現在、日本全国で、約90軒のロシアレストランが営業しており、そのうちの30軒以上は、東京にある。

 こってりしたスープ、満腹感のあるスメタナ(サワークリーム)つきのペリメニ(シベリア水餃子)、自家製のクワス(ロシアの清涼飲料)といった、本格的なロシア料理を味わいたいという方には、最も有名な東京のロシアレストランの一つバイカルがお薦め。ロシア人シェフが、おそらくは東京一のボルシチを食べさせてくれ、ロシア語ができる人なら、ロシア人のウェイトレスや客人と会話するチャンスもある。室内は、ロシアの木造家屋風で、壁は、サモワール、マトリョーシカ、グジェリ焼き風の絵柄の器、チェブラーシカの人形などで飾られている。

住所: 港区六本木4-12-7, RBビル3F

 

 もっとクラシックな雰囲気でワインを片手に落ち着いた一夕を過ごしたいという方は、レストランスンガリーへ。ここのメニューには、シャシリク(串焼き肉)やハルチョー(グルジアのスープ)といったカフカス(コーカサス)料理やグルジア産ワインもある。とくに人気なのは、紅茶で、この店では、金属製グラスホルダーつきのコップで供され(ロシアでは長距離列車でよくこうして紅茶を喫する)、4種類の自家製のジャムが添えられている。

住所: 新宿区歌舞伎町2 丁目45-6

 

 ロシア料理に欠かせないものといえば、キャベツ。この食材を使った人気の一品といえば、挽肉とお米を詰め物にしたゴルプツィ(ロールキャベツ)。このゴルプツィで有名なのが、浅草の小ぢんまりとした料理店ラルース。ここでは、イタリアのパンナ・コッタにそっくりの苺のキセーリという珍しいロシア風のデザートも味わえる。

住所: 台東区浅草1-39-2

「マトリョーシカ」の内部

 

 値段がよりお手頃な店といえば、カフェ・チェーンマトリョーシカ。モダンなインテリアで、若者に人気がある。メニューには、ロシア料理もあれば日本料理もあり、ドリンクには、チリ産ワインもあれば「バルチカ」ビールもある。ビーフストロガノフには、ライスがつき、野菜サラダには、和風の胡麻ドレッシングが添えられている。

住所: 新宿区西新宿1-1-3

  

黒パンとキャヴィア

 概して、東京のロシア料理は、安いとはいえない。日本で暮らして働いているロシア人の多くは、自炊しているが、幸い、多くの食材は、ふつうの商店で買える。たとえば、ロシア人が好むビート(ボルシチやサラダ「外套(シューバ)を着た鰊(にしん)」などに使われる)は、チェーン・ストア「オーケー」で売られている。スメタナ、シプロートィ、酢漬けの野菜、塩漬けの胡瓜、ロシアのビール「バルチカ」は、インターナショナル・マーケット「日進ワールドデリカテッセン」で買える。味がロシアのものと変わらない黒パンは、ゴントラン・シェリエなどの多くのフランスパン屋で売られている。1980年代にソ連から日本へ移入されたチョウザメの卵で造られた地元産のものを含むキャビアは、大きなデパートで購入できる。日本のキャビアは、ロシアのものと比べて、塩分がひかえめで、値もいくぶん安く、価格は、20グラム入りで一壜1万3千円から。

日本〒106-0044東京都港区東麻布2-34-2

 

ロシアの歌、日本より愛をこめて

東京・新宿のゴールデン街で居酒屋「ガルガンチュア」を営む石橋幸さんはビソツキー、プガチョワなどのほかロシア民衆の歌を歌っている。石橋さんを慕ってやってくるお酒好きの常連さんはロシア歌謡にも酔っている。

 

 信じがたいことだが、東京には、43年も前から、ロシアのシャンソンを愛する人たちのすてきな一隅がある。彼らは、時間と天候さえ許せば、毎晩、新宿三丁目駅の伊勢丹デパートから文字通り徒歩数分のところにあるゴールデン街の小さなバー「ガルガンチュア」へ足を運ぶ。店の主は、ロシアの歌を何とも味わい深く歌う石橋幸(みゆき)さん。そのレパートリーには、ヴィソーツキイもあればブガチョワもあればロシアのシャンソンさえある。

 石橋さんは、1944年に朝鮮半島で生まれた。早稲田大学でロシア語を学んだが、本人によると、最初はあまり面白くなかったという。転機が訪れたのは、石橋さんがモスクワのプーシキン記念教育大学での語学研修を受けにソ連を訪れた1980年代のこと。それを境に、ステージではとうに歌われなくなった歌を探し求める辺境無頼の旅が始まった。今、石橋さんは、ロシアの民謡ばかりでなく、シャンソンやロマ(ジプシー)の歌や囚人の俗謡も歌っているが、それらの歌は、ソ連では久しく敬遠されていた。6~7人も入ればいっぱいの「ガルガンチュア」には、毎晩、常連たちが顔をそろえる。そこでは、酒を飲み肴を抓むことができ、お品書きには、もちろんウォッカもある。お腹が空いていれば、店の主が、いつも夕食を分けてくれる。

 石橋さんは、ソ連やロシアの土産話の数々を喜んで聞かせてくれる。あるとき、彼女は、大好きな歌手の一人ジャンナ・ビチェフスカヤと出逢うことができ、その際、そのロシア・ソヴィエト連邦社会主義共和国人民芸術家は、念願の日本公演がどうしても叶わなかったと洩らし、石橋さんは、日本の聴衆の前で自分が彼女のレパートリー曲をすべて歌うことを約束したという。

 コンサートは、休日ごとに行われており、正確な日時は、電話(19時以降03-3202-5996)で確認できる。チケットは、予め購入しておいたほうがよい。

住所: 新宿区歌舞伎町1-1-7

  

東京復活大聖堂(通称ニコライ堂)

 日本の自治正教会の主教座大聖堂は、一見、お馴染みのロシアの金色の丸屋根をいただく白亜の教会には、あまり似ていない。聖堂の建物は、欧州全域でその国固有の建築への関心が高まるなかで19世紀のロシアにおいて人気を集めた擬ロシア(またはロシア・ビザンチン)様式で建てられた。ちなみに、ロシアの主たる聖堂である救世主ハリストス大聖堂のほか、たとえば、赤の広場のグム百貨店の建物も、この様式で建てられている。東京復活大聖堂の献堂式は、当時は皇太子として日本を訪れていたニコライ二世自ら執り行うことになっていたが、皇太子は、大津で警察官に襲われたため日本を離れざるをえなくなった。関東大震災のとき、聖堂は甚大な害を被り、丸尾根と鐘楼が崩落し、建物の木造部分が全焼した。聖堂は、再建されたものの、戦時中には荒廃した。最近の修復は、1998年に完了し、現在、ニコライ堂は、一般に開放されており、礼拝は、日本語で営まれている。

住所: 〒101-0062東京都千代田区神田駿河台4-1-3

 

写真提供:ナタリア・ススリナ

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