ロシアの異様な廃墟10選

観光・自然
ニコライ・シェフチェンコ
 お化け屋敷、船の墓場、そしてハドロン衝突型加速器もある。

1. ダゲスタンの山あいの村

 カヒブ村はダゲスタンの首都マハチカラから160キロメートル離れたところにある。村の中心部を占めるのが、カヒブトリャル川を見下ろす険しい崖の上に数世紀前に建てられた石造の遺跡だ。

 遺跡は周囲の岩と融合するように風景に溶け込んでいる。しかし近くでよく見ると、古い遺跡はなかなか壮観だ。

 歴史家らは、この風光明媚な家々と塔が築かれたのは8〜10世紀のことだと考えている。人々は侵略者を効果的に撃退できるよう、この到達困難な場所に住み着いたのかもしれない。

2. ヤロスラヴリの穀物倉庫

 この不気味な建物は、終末ものの映画のセットを思わせるが、実はソ連農業の遺物にすぎない。ソ連時代、この巨大なコンクリートの建物は、穀物の戦略備蓄分を貯蔵するのに使われていた。したがって塀に囲まれており、厳重に警備され、その正確な所在地はしばしば機密扱いだった。ソ連崩壊後、こうした戦略施設の多くは放棄され、やがて朽ち果てた。現在は時折旅行者がこの廃墟を見にやって来る。

3. カスピ海の岸辺の航空機

 ソ連製の地面効果翼機がロシア連邦ダゲスタン共和国のカスピ海沿岸に放置されている。「ルーニ級エクラノプラン」として知られる変わった機体は、ソ連の軍事プロジェクトの産物だが、今世紀初めに放棄された。

 この軍用機は敵空母の攻撃用に作られた。敵のレーダーに映らないよう、水面すれすれを飛ぶことができる設計だった。

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4. ムルマンスクの船の墓場

 引退した船を置く場所として、ロシアは北極海や太平洋に「船の墓場」をいくつか設けた。おそらく最も有名なのが、ムルマンスク州オレニヤ・グバーのロシア北方艦隊の基地の近くにあるものだ。そこには引退した船や、軍を退役した潜水艦が何十隻も横たわっている。

5. ヤクーチアのダイヤモンド採掘場

 ソ連の地質学者らがヤクーチア(サハ共和国)に巨大なダイヤモンド鉱脈を見つけたのは1950年代のことだった。噂によれば、重要な発見をした彼らは、モスクワに「平和のパイプを吸い始めた。このタバコは素晴らしい」という暗号文を送ったという。ダイヤモンド採掘場の「ミール」(ロシア語で「平和」を意味する)という名称はこの暗号文から来ていると言われる。

 ミール・ダイヤモンド採掘場は、深さ500㍍以上、直径1200㍍以上の巨大な採掘場に成長した。しかし、ある時点でその開発と維持が危険を伴うようになり、所有者は新たなダイヤモンド採掘方法を当てにして、ここを閉鎖した。

 露天掘りの巨大な採掘場は、廃坑となるまでに170億ドル相当のダイヤモンドを生産した。後に建築家らが採掘場を利用して近未来的なドーム都市を作るプロジェクトを考案したが、計画は失敗し、採掘場は今なお放置されたままになっている。

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6. サハリン島の灯台

 この荘厳な灯台の廃墟は、観光地となって久しい。第二次世界大戦末期に日本が建てたこの灯台は、島内でも特に到達困難なアニヴァ岬に立っている。

 訪問者によれば、灯台は多くの部分が著しく老朽化しているため危険で、いずれ訪れるのは難しくなるだろうという。

7. マガダンのゴーストタウン

 町がゴーストタウンとなったのは、近くの鉱山 で6人が死亡した事故を受け、当局がこの鉱山の閉鎖を決めたことがきっかけだった。1940年代にグラーグの囚人らによって建てられた町の廃墟は、この不気味な場所を見張るように佇んでいる。2010年の時点でゴーストタウンから住民はいなくなったと発表されているが、数人の住人が退去を拒んで暮らし続けている姿が旅行者らによって目撃されているという。

8. モスクワ州のハドロン衝突型加速器

 1980年代、ソ連の科学者らは分子の研究のためハドロン衝突型加速器の建設を計画した。プロジェクトの実現には多くの掘削工事が必要だった。モスクワ州プロトヴィノ市の地下に大規模なトンネルが掘られた。ソ連崩壊と資金不足によってプロジェクトが頓挫すると、トンネルも放棄された。深さは60㍍、長さは20㌖を超え、産業遺産のファンがしばしばここを訪れては自己責任で探検している。

9. アルタイの水力発電所

 チェマル水力発電所は約700人の囚人を動員して1935年に建てられた。2010年に事故が起こり、施設が部分的に浸水した。それ以来発電所は稼働していない。時々旅行者のグループが放置された発電所を見に訪れる。

10. プリモルスクのポル別荘

 カリーニングラード州プリモルスク市には薄気味悪い別荘がある。まだ街がドイツ式にフィッシュハウゼンと呼ばれていた1905年頃に建てられた。

 所有者は成功した実業家で、100ヘクタールの土地を買って屋根裏部屋と地下室付きの13部屋から成る豪邸を建てた。第二次世界大戦後に街がソ連領となると、建物はソ連国防省の管理下に入り、結核患者を治療する療養所なった。

 現在別荘は放棄され、ホラー映画の典型的なお化け屋敷を思わせる不気味な姿で佇んでいる。

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