カフカス(コーカサス)山脈は、多数の民族が住む地域で、さまざまな宗教、言語、伝統をもつ人々が共存している。そして、カフカスのかなりの部分がロシア連邦に属している。
カフカスは、カスピ海と黒海に挟まれた地域で、山地が大半だ。何世紀にもわたって、何十もの民族集団が住んできた。山地の集落は、互いに隔てられているので、それぞれの集団が異なる言語と宗教を育んできたが、それでも生活様式は似通っている。
だから、カフカスは地理的な概念であるだけでなく、歴史的および文化的なそれでもある。今日、カフカスは、南北の地域に分かれており、南カフカスは、ソ連崩壊後独立した旧連邦共和国からなり、北カフカスは、ロシアの構成主体(地方自治体)である複数の共和国からなっている。
カフカスはいつロシアに所属するようになったか?
歴史的にカフカスでは、隣接するペルシャ(現代のイラン)、オスマン帝国(トルコ)、ロシアの利害が交錯してきた。そのため、ロシアは、カフカスの山地、丘陵地帯に、コサックの集落といくつかの要塞をつくった。これは、南の国境を遊牧民などの襲撃から守るためであり、また、アジアとヨーロッパを結ぶ新しい貿易ルートを模索するためでもあった。
カフカスの少なからぬ民族(オセット人、カバルダ人、イングーシ人、グルジア人など)は、ロシア皇帝に保護を求め、帰属を申し出た。しかし、一部の地域では、ロシアは多数の紛争に巻き込まれざるを得なかった。
カフカスは、カフカス戦争終結後の1864年にようやくロシア領となった。ソ連時代には、カフカスは、近代的な行政区分となり、この大国のなかで自治権を得た。ソ連崩壊後は、グルジア(ジョージア)、アルメニア、アゼルバイジャンは独立国家になったが、北カフカスはロシア領として残った。
カフカスにおけるロシア領はどこ?
北カフカスには7つの共和国がある。
- アディゲ共和国(首都マイコープ)
- カラチャイ・チェルケス共和国(首都チェルケスク)
- カバルダ・バルカル共和国(首都ナリチク)
- 北オセチア・アラニア共和国(首都ウラジカフカス)
- イングーシ共和国(首都マガス)
- チェチェン共和国(首都グロズヌイ)
- ダゲスタン共和国(首都マハチカラ)
スタヴロポリ地方(首都スタヴロポリ)とクラスノダール地方(首都クラスノダール)も、行政上は、カフカスに属する。
ロシア語のほか、現地の言葉が公用語の地位を確立している。たとえば、カラチャイ・チェルケス共和国では、アバザ語、カラチャイ語、ノガイ語、チェルケス語が公用語だ。
しかし、もちろん、多言語のチャンピオンはダゲスタンで、14の公用語がある。そして、それらはいずれも非常に異なっているので、隣村同士がお互いを理解できず、ロシア語でコミュニケーションするケースもある。
ロシアのカフカスには誰が住んでいるか?
北カフカスは、ロシアで最も人口の多い地域だ。2010年の国勢調査によると、約1,500万人が住んでおり、50の民族集団に分かれる。
ロシア人の他に、大きな民族集団としては、チェチェン人、チェルケス人、アヴァール人、ダルギン人、オセット人、イングーシ人、クムイク人、レズギ人などがある(詳細については次の記事をどうぞ)。
カフカスの住民のほとんどはイスラム教徒だが、オセット人の間では正教の方が広く流布している。
にもかかわらず、カフカスの人々は今日でも多くの共通点をもっている。彼らは概して、伝統的な生活様式を保持している。
たとえば、彼らはアパートではなく、一戸建ての自宅に住みたがる(そのためもあり、都市化の程度は、ロシアで最も低い)。そして、農業、牧畜を営む者が多い。
また、家族についてもより伝統的な見方をしている(年配の親戚が配偶者の選択に関わることが多い)。
伝統的な衣装も似ている。たとえば、男性のそれは、ロングジャケットのいわゆる「チェルケスカ」で、胸ポケット「ガズィリ」が付いていた。これは、かつては実質的に弾薬帯であり、布や皮で作った筒に弾丸と必要な量の火薬を入れた。
女性は、細長いドレスと明るいショールを身に付ける(詳しくはこちら)。
カフカスの経済事情は?
北カフカスの主な産業は農業だ。温暖な気候と良好な土壌のおかげで、大量の果物、野菜、穀物を栽培できる。さらに、北カフカスは現在、ロシアで人気の観光地だ。海浜と山地のリゾート都市が帝政時代につくられ、ソ連時代には観光業が普及した。
現代のロシア人は、北カフカスにやって来て、海でのんびりしたり、天然の鉱泉を使ったサナトリウムで療養したり、冬はスキーをしたり、夏はハイキングをしたりする。そして一年中、壮大な山々に沈む美しい夕日に見惚れる!