ロシアの真の斜塔5選(写真特集)

Anna Sorokina; @taksa_na_uaz, @olga_dynkovskaya/https://www.instagram.com
 ロシアには独自の「ピサの斜塔」がある。今にも倒れそうだが、倒れない。斜塔を支えているのはロシアのブロガーたちだ。

1.ネヴィヤンスクの斜塔(スヴェルドロフスク州)

 ウラルの古い街ネヴィヤンスク(エカテリンブルクの85キロメートル北)はまさに斜塔で多くの人に知られている。1.85メートルの傾斜は遠くからでも見える。誰がいつ建てたのかは不明だが、1720年代に手工業者のアキンフィー・デミドフがここに自分の家族のために家を建てるよう指示し、木造の顕栄教会の隣に鐘楼を建てたのだと推測されている。塔の中には彼の執務室があった。今日ここは誰でも入れる歴史博物館となっている。この地域に来ることがあれば、塔の時計に注意してみよう。この英国製の時計は18のメロディーを奏で、今でも動いている。

 だがなぜネヴィヤンスク鐘楼は傾いているのだろうか。主な説は、そもそもそう想定されていたというものだ(だがこれは正確ではない)。57メートルの塔には正方形の基礎があり、その上に八角形の層が3つ(上に行くほど小さくなる)が積まれている。塔は円錐で終わっている。頂点の風見鶏は少しでも風が吹けば動く。もし塔が建設後に傾いたなら、風見鶏は回らないだろう。

2.シュユンビケ塔(カザン)

 クレムリンがモスクワだけでなく多くの古い都市にあることは誰でも知っているだろう。その一つ、カザンのクレムリンには、17世紀に建てられた見張り塔がある。これも斜塔だ。ネヴィヤンスク塔と同じく、建てられた正確な年も設計者の名前も知られていない。伝承によれば、カザン・ハン国の君主シュユンビケ(「寵愛された婦人」の意)に因んで名付けられたという。シュユンビケはイワン雷帝の求婚を拒み、雷帝に最後通牒を突き付けられた。結婚しろ、さもなければ街を破壊する、と。シュユンビケは街を救うため婚姻を結ぶことに合意し、贈り物として塔を建てるよう請うた。7日で7層の塔が建てられ、シュユンビケは結婚式の後、塔の上から身を投げた。 

 歴史家らは、58メートルの塔が傾いたのは、基礎に打たれたカシの杭の深さが十分でなく、しだいに塔の重みで杭が沈んでいったことが原因だと考えている。結局塔は垂直線から2メートル近くずれることとなった。現在は塔が倒壊しないよう、塔の下層が鋼鉄のバンドで補強されている。現在はミナレットとして機能している。

3.キデクシャ(ウラジーミル州)

 歴史あるキデクシャ村はスーズダリの近くにあるが、観光客はうんと少ない。だが見どころはある。木彫りの飾り窓を持つ農民の木造住宅や12世紀半ばに白い石で作られた極めて古い教会、そして18世紀建立の斜塔だ。どうやら塔は地盤沈下でしだいに傾いていったらしい。安全性の観点から観光客が中に入ることはできない。

4.前駆授洗イオアン教会の鐘楼(ヤロスラヴリ)

 1000ルーブル札には、17世紀末にコトロスリ川の畔に建てられたヤロスラヴリの前駆授洗イオアン教会が描かれている。1930年代、鐘楼には鍛冶場があり、歴史家らはこのことが建物の沈下と1メートルの傾きにつながったと考えている。幸い、傾きは手遅れになる前に気付かれた。1950年代、建物の基礎が補強され、45メートルの塔は少し「均された」。こうして塔は建築の記念碑となった。

5.ソリカムスクの鐘楼(ペルミ地方) 

 ペルミの200キロメートル北にある商人の街には、57メートルの変わった建築物がある。約1.5メートル傾いた大聖堂の鐘楼だ。

 鐘楼の建設は1713年秋に始まったが、悪天候のため建設のペースは遅く、結局春まで作業を延期せざるを得なくなった。その間に地盤が緩んで塔が傾き、このまま建設を押し通すことになった。面白いのは、塔の基部となっているのが、一方は2階建、他方は4階建の「御殿」だということだ。こうして鐘楼はソリカムスクの中央広場の起伏のある地形にうまく溶け込むことができた。現在塔には博物館と展望台がある。

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