ロシアにあるユネスコ世界遺産(全28件中)17選

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 モスクワの赤の広場からクリミアのケルソネソスまで、豊かな歴史と文化とを誇る圧巻の建造物、街、区域をご覧に入れよう。

1.サンクトペテルブルク歴史地区と関連建造物群

 サンクトペテルブルクの歴史地区は多くの点で特別だ。その建造物の大半が18世紀のごく短期間に建てられ、活力ある文化の都としての息吹を一気に吹き込んだという点も然り。ユネスコがロシアの旧都の領域に相当する範囲の居住地区を世界遺産のリストに加えたのも珍しいことだ。

 なぜユニークなのか。ユネスコ世界遺産に登録されている居住地区の中では最大級だ。

2.キジ・ポゴスト

 17世紀に遡るこの遺産の見どころは、いずれも木造の顕栄聖堂(22の丸屋根を持つ)と生神女庇護聖堂(9つの丸屋根を持つ)だ。完全に木だけで作られており、松の木でできた骨組みを接合するのに釘は一本も使われていない。

 なぜユニークなのか。これほどロシア的な木造建築は他に例がない。

3. モスクワのクレムリンと赤の広場

 ロシアの首都の歴史と建築の中心地である赤の広場は、クレムリンに隣接し、グム百貨店、聖ワシリイ大聖堂、レーニン廟が立ち並ぶ。

 なぜユニークなのか。象徴的な正教会の聖堂とボリシェヴィキの指導者の霊廟が、かつて市場としてにぎわった広場に同居している……。これだけ言えば十分だろう。 

4.ノヴゴロドと周辺の文化財

 古代ルーシの揺りかごであるノヴゴロドは、かつては交易の要衝として、またノヴゴロド共和国の中心地としてその名を馳せた。現在は有名な観光地であり、訪れた者は中世ルーシの世界に飛び込むことができる。

 なぜユニークなのか。ロシアの主な古代都市の中で唯一モンゴル帝国軍の侵攻を受けておらず、中世ロシアの居住地が非常に良い状態で保たれている。

5.ソロヴェツキー諸島の文化的・歴史的遺産群

 ソロヴェツキー修道院はロシアの正教会建築の好例の一つで、その木工術と石工術には目を見張るものがある。ロシアで最も畏敬される女子修道院の一つであるが、17世紀のロシア正教会の分裂の際には政府軍の残忍な攻撃を受けて占領された。20世紀には強制収容所として利用され、信者や、恐怖政治で無実の罪を着せられた者の多くがここで亡くなった。

 なぜユニークなのか。この修道院は堅固な要塞でもあった(17世紀、政府軍が断固抵抗する旧教徒らの集団からここを奪取するのには8年の歳月を要した)。今日では再び修道院として機能している。

6.ウラジーミルとスーズダリの白亜の建造物群 

 中世ルーシの重要な中心地であったウラジーミルとスーズダリには、8つの古い白亜の建造物が点在している。ウラジーミルの生神女就寝大聖堂と黄金の門はツァーリの侵攻を受ける以前に建てられたという点で特筆に値する。

 なぜユニークなのか。建造物群はあまりに古く、誰が建てたのか誰にも分からない。歴史家らはロシアの公に委託されたヨーロッパの建築家が設計したのだろうと考えている。

7.セルギエフ・ポサードの至聖三者聖セルギイ大修道院の建造物群 

 14世紀に建立された至聖三者大修道院は、ロシアで最大かつ最重要の修道院だ。しかし、とりわけ有名というわけではない。

 なぜユニークなのか。防備の固い修道院の建設作業は15世紀から18世紀まで続いた。 

8.コローメンスコエの主の昇天教会

 これは八角尖塔を持つ石像教会としてはロシア最古のものだ。モスクワ南部を見渡す絶好の位置に建てられている。16世紀ロシアの最も偉大な建造物の一つだ。

 なぜユニークなのか。この教会は、イワン雷帝(1529-1584)の生誕を記念して、イタリアの建築家によって建立された。

9.カザン・クレムリンの歴史的・建築的複合体

 このクレムリンは、イワン雷帝の命でカザン・ハン国の要塞があった場所に建てられた。かつての要塞はイワンが1552年にカザンを襲撃した際に破壊された。ここには10世紀に遡る人工物もある。

 なぜユニークなのか。カザン・クレムリンは、モスクワの聖ワシリイ大聖堂を設計した建築家、ポスニクとバルマによって建てられたと考えられている。

10.フェラポントフ修道院の建造物群

 14世紀の建立されたフェラポントフ修道院は、正教会で最も高位の司祭らが追放された場所である。最も有名な例が総主教ニコンの流刑だ。修道院の建造物群は極めて保存状態が良く、小さく整然とした境内は時間が止まっているかのようだ。ロシアの修道院が数百年前どのような姿をしていたかを如実に示している。

 なぜユニークなのか。修道院の大聖堂には、ロシア随一のイコン画家、ディオニーシーの非常に優れた壁画が残されている。 

11.デルベントのシタデル、古代都市、要塞建築物群

 現在ダゲスタン共和国に位置するデルベントは、かつてサーサーン朝(3世紀~7世紀)の北部国境沿いの重要な戦略拠点だった。厚さ約7メートルの壁とアラブ以前のシタデルを有するデルベントの要塞は、15世紀以上にわたってこの街を守ってきた。

 なぜユニークなのか。デルベントの壁は世界で唯一良い状態で現存する古代ペルシアの要塞建造物だ。同市にある、8世紀に建立されたジュマ・モスクも、ロシア最古のものである。

12.ノヴォデヴィチ修道院の建造物群

 ノヴォデヴィチ女子修道院は、ロシア史において際立った役割を果たし、しばしば皇族の女子が訪れた。ツァーリの家族や側近がこの修道院の墓地に埋葬された。修道院は1812年にナポレオンによって危うく破壊されかけた。

 なぜユニークなのか。ノヴォデヴィチ女子修道院は、17世紀ロシアのバロック建築の好例で、建設当時の姿を今に残している。

13.ヤロスラヴリの歴史地区

 ヴォルガ川とコトロスリ川の合流点に建設されたヤロスラヴリ市は、11世紀以来主要な交易拠点であった。産業が発達したにもかかわらず、幸い歴史地区はかつての姿をとどめている。18世紀後半、この街はエカチェリーナ2世が命じた全国的な都市計画改革に従って再整備された。改革は1763年から1830年まで続いた。

 なぜユニークなのか。ヤロスラヴリの歴史地区は、ロシアと西欧との間の文化交流の歴史をよく示している。

14.シュトルーヴェの測地弧

 シュトルーヴェの測地弧は、ノルウェーのハンメルフェストから黒海までの2820キロメートル、実に10ヶ国に跨る一連の三角測量の観測点群である。本来の測地弧には258ヶ所の三角点があったが、現在は34ヶ所しか残っていない。

 なぜユニークなのか。測地弧はドイツ生まれのロシアの科学者フリードリヒ・ゲオルク・フォン・シュトルーヴェによって、地球の正確な大きさと形を明らかにするために1816年から1855年まで使用された。

15.ボルガルの歴史的考古学的遺産群

 タタールスタン共和国の街ボルガルは、7世紀から15世紀まで存在したヴォルガ・ブルガール王国の首都だった。ボルガルはモンゴル軍に占領されてジョチ・ウルス(キプチャク・ハン国)の首都となった。古いイスラム教寺院の残る同市は、タタール人ムスリムの巡礼地となっている。

 なぜユニークなのか。ボルガルの歴史遺産群は、テュルク系、フィン=ウゴール系、スラヴ系の伝統の交流を物語っている。すべてが一つの首都に詰め込まれていたのだ。

16.スヴィヤシュスクの集落島の生神女就寝大聖堂と修道院

 スヴィヤシュスク修道院は、イワン雷帝がカザンを攻略した際に、モスクワ大公国の権力と文化的権威を示すために建設された。ここは、タタール人に正教を布教する宣教師らの拠点としても用いられた。

 なぜユニークなのか。生神女就寝大聖堂のスケールは圧巻である。建築物群は伝統的なプスコフ建築とヴォルガ地方の建築様式の特徴を示している。生神女就寝大聖堂のフレスコ画は、世界でも極めて稀な東方教会壁画の一例だ。 

17.ケルソネソス・タウリケの古代都市とその農業領域(クリミア)

 クリミア共和国に位置するケルソネソスは、約2500年前に築かれた古代ギリシアの植民市である。20世紀もの間、ここは黒海北岸で最も重要な都市であり続け、ローマ時代のフォルム(公共広場)、古代のホーラ(農耕地)、バシリカ建築の遺跡が残る。

 なぜユニークなのか。ケルソネソス・タウリケは、古代ギリシア、ローマ帝国、ビザンツ帝国による支配の変遷と、黒海北岸に住んだ人々の移り変わりを物語っている。

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