サンクトペテルブルクの興味深い事実10

観光・自然
ニコライ・シェフチェンコ
エルミタージュのネコは家に連れ帰っても良い。また宮殿広場の巨大な円柱は固定されていない。

1.街の名は3度改称された。3度目に街はまたサンクトペテルブルクになった。

 第一次世界大戦中、反独感情によって、街の名はペトログラードと改称された。当時、「私たちはペテルブルクで眠りにつき、ペトログラードで目覚めた!」 愛国主義的な新聞にはこのような見出しが躍った。

 ウラジーミル・レーニンの死後、街はレニングラードとなった。この名前で第二次世界大戦、雪解け時代、そしてペレストロイカを経験した。1991年9月、街の名称は歴史的なものに戻され、ふたたびサンクトペテルブルクとなった。

2.アメリカにはもうひとつのサンクトペテルブルクがある。

 ロシアの北の都にちなんだ名前の都市がフロリダ州の南部にある。フロリダで人口密度が5番目に多いこの街は素晴らしい天候とゴルフ場、温かい湾と灼熱のビーチで有名だが、それらはすべて、天候の悪さで世界的に知られる本物のペテルブルクにはないものである。

3.跳ね橋は美しいものではあるが、しかし非常に不便である。

 ペテルブルクには全部でおよそ800の橋があるが、中でももっとも有名なのが跳ね橋。跳ね橋は全部で19ある。決まった時間(普通は夜中)に開き、早朝には閉まる。これは非常に美しいものではあるのだが、しかし本当に不便でもある。一定の時間が過ぎ、ペトログラード地区に取り残されてしまった人々は街の中心部には戻れない。逆も然りである。というわけで、もし誰かの家に招かれていて、夜遅くなってしまったら、翌朝までそこにいるのが賢明だ。

 4.宮殿広場の巨大な円柱はまったく固定されていない。

 重量600トンのアレクサンドロフスカヤ円柱は185年もの間、その重みだけで垂直状態を保っている。ペテルブルク市民も最初はこの円柱がいつ倒れてくるかと避けて通っていたほどであった。そこで建築家のモンフェランは、この円柱がいかに安全かということを証明するために、柱の下を毎日散策してみせた。

5.エルミタージュ美術館をすべて見て周るには10年以上かかる。

 エルミタージュ美術館には毎年およそ300万人が訪れるが、ロシアでもっとも有名なこの美術館の莫大な数のコレクションをすべて見たという人はいない。展示品ひとつに1分かけたとして、美術館を隅から隅まで歩き、すべての作品を見るには10年以上かかると言われている。

6.エルミタージュ美術館には美術館で「働く」ネコが住んでいる。家に連れ帰ってもよい。

 かなり昔からネコは冬宮の敷地内でネズミを捕獲していたが、今もそれはまったく変わっていない。エルミタージュには公式に数十匹のネコが働いている。

 2014年、エルミタージュの館長は美術館のネコの数を50匹に限定すると決定し、それを超えた分は可愛がってくれる人に譲るとした。ネコを引き取りたいという人は面談をして、必ず大切にする旨を約束しなければならないことになっているが、引き取ることが決まれば、「エルミタージュのネコである」という特別なステイタスが記された証明書を受け取ることができる。

7.聖イサアク大聖堂は空から非常によく見えるため、爆撃から逃れることができた。

 聖イサアク大聖堂は半球天井になっている寺院の中では世界で4番目の大きさを持つ。それにより、第二次世界大戦中破壊されずに済んだ。ドイツ軍はこの大聖堂を、爆撃の焦点を定める際の基準点にしていたと考えられている。この理由により、レニングラード封鎖の時期までに避難させられなかった重要な美術品の多くが聖イサアク大聖堂の地下に保管された

8.ペテルブルクの地下鉄は世界でもっとも深いもののひとつである。

 ペテルブルクでもっとも深い地点にある駅はアドミラルテイスカヤ駅で、深さ86メートル。これより深い駅は、戦争に備えて特別深い地点に駅を作ったキエフと北朝鮮にしかない。

9.ペテルブルクには7度も盗まれた不思議な銅像がある。

 不思議な鳥、マヒワの銅像は面白おかしい歌「チジク・プイジク」を基にフォンタンカ川に建てられた。ツーリストたちは夢が叶うようにとこの銅像にコインを投げる。しかしもっと巧妙な人々はこれを家に持ち帰った。そしてこうした事件は実に7度もあった。しかしどの場合も銅像は必ず、あるべき元の場所に戻された。

10.サンクトペテルブルクは世界でもっとも騒がしい街である。

 世界の都市の騒音レベルを測定したドイツの研究者たちの発表によれば、サンクトペテルブルクは最も騒音レベルの高い5都市の一つである。ペテルブルクの人々は、イスタンブール、バルセロナ、パリ、モスクワと並んで、騒音に悩まされている。