ピョートル大帝は、この島の東端にサンクトペテルブルクのダウンタウンを建設したいという夢を持っていたが、今日、ここは、ぺテルブルクで最も古い地区のひとつとなっている。ピョートルは、アムステルダムのような独自の街を作りたいと思っていたが、彼の夢は叶わなかった。なぜなら、ここの運河はひどく濁っていて悪臭漂うものだったからだ。最終的に、それらは埋め立てられた。
運河の代わりに、今日この島には29本の「ライン」があり、それは古い南北の通りと呼ばれている。第6ラインと第7ラインの一部は、現在歩行者専用となっているため、散策におすすめだ。
1863年に初めて登場した乗り合い馬車「コーニカ」の記念碑のそばで止まってみて。地下鉄ワシーリエフスキー島駅のすぐそばにある。また、ピョートル大帝の技師で砲兵だったワシーリー・コルチミンの記念碑のそばでは、地元のミュージシャンたちの演奏を聴くこともできる。伝説によれば、この島の名は彼に由来しているという。
1720年代にこの街がどんなふうだったのか想像するには、トロエクロフの屋敷(第6ライン13番地)とアンドレエフスキー聖堂を見るといい。第6と第7ラインには、手ごろに食事をする場所がたくさんある――カフェ・テレモーク、レストラン・マーケットプレイス、ソビエト・スタイル・カフェのクヴァルチルカ、、ベジタリアン・ウクロープ、ベーカリー・ヴォルチェク。
ネヴァ川に着いたら、ワシーリエフスキー島の砂州に向かって歩き、帝政時代のサンクトペテルブルクの最高の景色を眺めたり、観光客のほとんどいないシュミット河岸通りを散歩したりしてください。
アンドレイ・ミローノフ劇場
Alex Florstein Fedorov/Wikipedia7つの大きな島から成る地区全体をペトログラード・サイドという。もっとも大きくて主要なこの島は、ぺテルブルク発祥の地であるペトロパヴロフスク要塞を抱えているが、一本の小さな運河でこの二つは分けられている。ここは、市の中心地にかなり近いものの、ペトログラード・サイドは、1903年にトロイツキー橋が建設されるまでは未開発の場所だった。
帝政末期の経済の隆盛と同様、主要な島につながる橋のおかげで、ペトログラード・サイドは、20世紀初頭にはもっとも流行の地域となり、増えてきた中流階級のための多くの住宅がアール・ヌーヴォー様式で建設されたのである。建築好きな人なら、カメンノオストロフスキー大通りを、地下鉄ゴルコフスカヤ駅からペトログラーツカヤ駅まで歩くといいだろう。
「ボリショイ大通り44番地の“フクロウのいる家”や、ロマンチックなお城のように見えるレフ・トルストイ広場にあるアンドレイ・ミローノフ劇場をお見逃しなく」と、当地の広報担当者アンナ・スメタニナは言う。「この二つの建物は、本当に、この地域のシンボルです。ペトログラード・サイドの地元のファンたちも、植物園や屋上レストランのパルサ・ナ・クルィシェやネヴェソモスチ、マカロンニキを見るのが好きなんです」。
グルメな人は、この島で丸一日過ごすよう計画を立てるといい。「この街で最高のコーヒーを飲みたければボリショイ・バー(ボリショイ大通り45番地)に向かいましょう、美味しいビールとスグリビアならパブニック(ボリショイ大通り47番地)。レストランでディナーを取るならメスト、あるいは、スキで寿司を味わいましょう。ベルカも見逃さないでください。ここの大きな窓は夏はずっとオープンになっています」とアンナは付け加えた。
この地域はまた、クレストフスキー島やカメンヌイ島、エラーギン島にある公園でも知られている。色とりどりの花を愛でながら、歴史的な邸宅沿いを散策することができる。
通りの住所について一筆。ペトログラード・サイドもワシーリエフスキー島もどちらにも、「ボリショイ大通り」がある(「マールイ大通り」と同じ)。だから、行く前に必要な地区を常に再確認すること。
聖ニコライ海軍大聖堂
Alex Florstein Fedorov/Wikipediaこれらは、作家フョードル・ドストエフスキーを愛する人なら誰でも必見のエリアだ。彼はここに住み、長編小説『罪と罰』では、この辺りを描いている。センナヤ広場からスタートして、モスクワ大通りが始まるところに隠れているセンヌイ市場を訪ねてみよう。それから、グリボエドフ運河をストランヌイ横丁まで歩く。そこは、『罪と罰』の主人公ラスコーリニコフが住み、殺人を企てた場所だ。
歩行者専用のライオン橋で自撮りするといい。ここは「キアヌ・リーヴス橋」としてインスタグラムで非公式に知られているところだ。というのも、このハリウッド俳優が昨年ここで映画撮影を行ったからだ。
聖ニコライ海軍大聖堂に到着し、クリュコフ運河を渡ると、そこはコロムナだ――よく保存された静かな歴史地区で、常に芸術家たちのアンダーグラウンドの拠点となっていた。伝統的に、多くの俳優やバレエダンサー、音楽家たちが、マリインスキー劇場に近いこの場所に住んでいた。
ここの画家のエカテリーナ・ホザツカヤは、コロムナのバーやレストランでよくスケッチをしている。
「とてもロマンティックで、ちょっと田舎っぽくて、でも良い方法なんです。ここにはすごくたくさんのエスニックなカフェがあります――アルメニアのウ・ガギカ、コリアンのミガ、ジョージアのミンダル。それに、コラール・シナゴーグの近くのユダヤ用の食品店」。
4. スモーリヌイ
スモーリヌイ聖堂
NoPlayerUfa/Wikipediaこの地区はスモーリヌイ修道院にちなんで名付けられており、地下鉄チェルヌィシェフスカヤ駅の近くにある。かつては、「スモーリヌイ・ドヴォール」がここにあった――造船に広く使用されていた松脂の生産地だ。
1740年代に、エリザベータ女帝がこの修道院の建設を依頼した。彼女はそこで修道院長として晩年を過ごそうと計画したのだ。彼女のお気に入りのイタリア人建築家ラストレッリは、ウェディングケーキのように見える93mの高さをもつ大聖堂を建設した。ここの鐘楼を昇って、普通とは違う雄大な街の景色を一望しよう。
スモーリヌイは市政の場としても知られており、知事は、修道院から徒歩5分のところにある、かつてのスモーリヌイ女学校で仕事をしている。これはもともと、貴族の未婚の子女のための女学校だったのだが、20世紀初頭には、コミュニストたち向けの№1の観光名所となった。ここから、ウラジーミル・レーニンとレフ・トロツキーが十月革命を指揮し、1917年10月25日に、全ロシア=ソビエト会議はレーニン率いる新しいボルシェヴィキ政権に政権を与えたのである。
マルクスとエンゲルスの像と一緒に自撮りをしよう。そして、レニングラード時代の地元のレシピを専門とするツェントラーリヌイ(中央)レストランでソ連料理を試してみよう。
スモーリヌイへ行く最良の道は、フルシュタツカヤ通りを歩いていくことだ。ここには、帝政時代の豪華な邸宅や良いカフェがたくさんある。その後、タヴリチェスキー庭園にたどり着く。ここは、地元の人たちの間で、ピクニックや日光浴、フリスビーをするのに人気の場所だ。
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