ウラジオストクの景色の絵葉書、1920年=
Lori/Legion-Mediaアルセーニエフは、自身の人生の30年間をロシア極東とその住民の研究に費やした。彼は『デルス・ウザーラ』(ロシア語の発音は「ウザラー」)の三部作 (1923年出版) の著者として国際的に最もよく知られているが、これは日本人のオスカー受賞監督の黒澤明が映画化した。
この映画『デルス・ウザーラ』 (1975年) は、アルセーニエフと彼の案内役だったナナイ族の「森の男」の物語で、題名としてこのガイドの名前がつけられた。 この映画はロシア極東の野生の森と厳しい冬で世界の観客を魅了したほか、アルセーニエフがたどった未観測の探検路に世界が注目するきっかけともなった。
ウラジーミル・アルセーニエフ= 「ルベージ」出版社
1900年にアルセーニエフは、ウラジオストクにある要塞連隊への配属を希望する特別な転属願いをロシア軍に提出した。 同年、彼は鉄道でウラジオストクに向かった。1902年に、彼はナナイ族の猟師ウザーラに出会った。
「あの男は私の興味をそそった。彼に何か特別な、ユニークなものを感じた」。アルセーニエフはウザーラについてこのように記している。 「彼の表現は飾り気なく、口調はもの静かで、振る舞いは謙虚だったが迎合的ではなかった... この人物は、これまでの全生涯を森の中で過ごしてきた原始的な猟師だった。都市生活や文明は、彼にとってまったくの異世界だった」
デルス・ウザーラ=「ルベージ」出版社
二人の男は生涯の友人となった。今日のロシア極東への来訪者は、アルセーニエフにちなんだいくつもの場所に容易にアクセスすることができる。
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アルセーニエフの足跡を辿る最初の場所は、中国の黒河市と川を挟んで国境を共有するブラゴヴェシチェンスク市 (モスクワから約7,900キロ) だ。
当時ウラジオストクに赴任する旅路にあった陸軍将校のアルセーニエフは、中国から外国人を追放する運動だった義和団の乱がピークに達していた1900年7月に、ブラゴヴェシチェンスクに到達した。このロシアの都市が中国人義和団による襲撃を受けた時、彼はちょうどブラゴヴェシチェンスクに滞在していた。
彼はこの都市に3週間近く滞在し、清朝軍に対する抵抗に加わり、勝利に貢献した。1900年代初頭当時の建物がいくつか市内に現存しており、郷土博物館には、ブラゴヴェシチェンスクに滞在していた若きアルセーニエフの写真が何点か収蔵されている。
国境を越えて旅行するなら、アムール川 (黒河) を渡って、ブラゴヴェシチェンスクの古きロシアの都市の建築と、現代的な中国側の都市黒河鎮(こくがちん)の高層ビルを比較対照しながら一日を過ごすことができる。ただし、ビザ免除制度がないため、海外からの旅行者は、両国間を行き来できる複数入国が可能なロシアと中国のビザが必要であることに注意する必要がある。
ユーリイ・スミチュク/タス通信
次に注目するのは、アルセーニエフが最初に転属してきた1900年以来著しく変遷したウラジオストク市だ。ウラジオストクには、彼の時代の遺物が多数ある。センスよく修復された内戦前時代の建築がその例だ。アルセーニエフが1930年に亡くなるまで住んでいた家は、まだ現存している。ていねいに維持され、博物館に改修されたこの家は、ウラジオストク駅の近くに位置している。
ウラジオストクから、アルセーニエフは、ウスリー川とアムール川流域の野生林に向かって何回も探検隊を率いた。彼は、イノシシや他の野生動物を狩猟したり、すべての季節を通して野生森の中を移動するといった功績をあげた。黒澤監督の映画には、迫る吹雪について警告するウザーラをアルセーニエフが無視するという劇的な場面がある。二人は動きがとれなくなるのだが、ウザーラはアシを束にしてシェルターを作り、そのおかげで二人は死を免れる。
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ウラジオストクから夜行列車に乗ってハバロフスクへ向かい、アルセーニエフの足跡をさらに辿ろう。
ハバロフスクの最大の見所の一つは、この地域の動植物を専門に扱う特別なセクションがあるハバロフスク地方伝承館だ。 アルセーニエフはロシア内戦中の1918年から1920年にかけて、この博物館の館長を務めた。
同博物館には、探検中にアルセーニエフが撮影したアムール地方の先住民族の珍しい写真の他、宝石や動物の皮で作った衣類、狩猟用具などが展示されている。
Geophoto
アムールトラやヒマラヤグマ (ツキノワグマ)、アムールヒョウの生息地となっている大ヘフツィール自然保護区は、ハバロフスクから自動車でわずか30分の距離にある、中国との国境に面した所に所在する。ヘフツィール山を登りたい場合は、この地域は国境地帯にあたるため、森林局から許可を取得する必要がある。
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アルセーニエフとウザーラは、このような森林の中を馬や徒歩で移動した。トラに引き裂かれそうになったことがあるウザーラは、ナナイ族の信条に従い、野生林の動物の魂を恐れ崇めた。ナナイ族が「アンバ」と呼ぶアムールトラは、氷点下の気候に生息する唯一のトラの種だ。
ユーリイ・スミチュク/タス通信
アルセーニエフとウザーラもアンバに何度も遭遇した。アルセーニエフの場合、自分の犬がアンバに食べられてしまった。このロシア人探検家は、トラと目が合った時のことを次のように記述した。道先案内人ウザーラの返答を耳にしたアルセーニエフは、言葉を失った。
「ああ、ダメ!トラ 見る 悪い!アンバ見たことない人...幸せ、幸運な人」。アルセーニエフの日記で、ウザーラはこう語ったと記録されている。
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アルセーニエフの跡をたどる最後の目的地は、アムール川のほとりでハバロフスクから北に約80キロほど離れた所にあるシカチ・アリャン村だ。親切なナナイ人が住んでいるこの小さな村で、旅行者は、ロシア極東の先住民族の一族が伝承する習慣、文化や伝統を垣間見ることができる。
村人の多くは伝統衣装をまとい、村の人口が減少しているにもかかわらず、この共同体の努力によって独自の言語が継承されている。観光は、ナナイ族の工芸文化を維持していく上で重要な収入源だ。
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ロシア極東では近代化が1世紀以上も前に始まったにもかかわらず、この地方には依然として世界最大級の原生林が残っている。
ウラジーミル・アルセーニエフ (著)、長谷川 四郎 (翻訳)
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