美人が多いと評判の街

Lori/Legion Media撮影

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ロストフ・ナ・ドヌ市はロシア美人の首都と考えられている。国際的な美人コンテストの優勝者をここ20年で多数輩出していることでも有名だ。一体どのような街なのだろうか。

 ロストフ州のドン・コサックは勇敢さと独立性で知られていたが、その妻は子育てや家事だけでなく、時に武器を手にしなければならなかった。ドン川流域にはロシア人、アルメニア人、ギリシャ人、グルジア人、トルコ人、ユダヤ人などの100以上の民族が入植。南の太陽の日差しおよびヨーロッパとアジアの連結部という地理的な位置が、コサックの独特な外見と情熱をつくりだした。

 ロストフ・ナ・ドヌ市に海はないものの、「五海の港」と呼ばれている。20世紀半ばにドン川とボルガ川をつなぐ水路が建設されたため、アゾフ海、黒海、カスピ海、白海、バルト海への出港が可能となった。

 

歴史

 紀元前3000年から人が暮らしてきたこの領域の近代史は、ピョートル大帝のアゾフ遠征から始まる。ロストフ・ナ・ドヌ市は、トルコからロシア帝国への輸入品の関税徴収を行う、税関の街として築かれた。時代の流れとともにロシアとトルコの外交関係が難しくなってくると、今度は要塞の街に変わった。

 20世紀初めのロシア革命の時期には、白軍の拠点となり、2年間ソ連政権に対抗。その後ボリシェヴィキが流入し、1920年2月11日からソ連時代が始まった。

 独ソ戦争時にはナチス・ドイツ軍が1941年秋と1942年夏に二度街を占拠。劇場、学校、病院などが焼き尽くされ、街は壊滅状態に陥った。ロストフ・ナ・ドヌ市は、ロシアでもっとも被害の大きかった10市の一つである。

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 この街には入植したすべての民族の特徴が反映され、シナゴーグ、モスク、ギリシャ正教会、ロシア正教古儀式派教会、仏教寺院、カトリック教会が隣接している。もっとも古い建物はアルメニアのスルブ・ハチ。一部崩壊している修道院である。宗教的、啓蒙的に重要な拠点だった修道院の敷地内には、ロシア南部初の活版印刷所、学校、図書館などもあったが、現在残っているのは教会1棟、泉とテメルニク川に続く美しい石階段、門の大きな石柱だけである。スルブ・ハチのまわりには丁寧に手入れされた庭がある。

 ロストフ・ナ・ドヌ市でもっとも有名な建物は、構成主義の傑作であるゴーリキー劇場。壁には大理石と磨かれた曹灰長石がはりめぐらされている。世界的な建築家のル・コルビュジエとオスカー・ニーマイヤーは、この劇場をソ連建築の宝と呼んだ。

 ドン川流域には、門、鍛造ひさし、屋内回廊のある、19世紀の建物が数多く残っている。市内の幹線道路である大サドヴァヤ通りには、閉鎖庭のある建物、共同住宅、広い遊歩道、長い舗装道路があり、平行してスヴォーロフ通りが伸びる。

 

この街ならではの名所

 ロストフ・ナ・ドヌ市には、ロシアの他の街ではあまり見られない珍しい名所がある。それは壁のパネル画と倉庫。1979年の国際児童年に、市内中心部の地下通路の壁面には、ソ連風の陶製パネル画がはりめぐらされた。描かれているのはソ連の子ども、宇宙開発、労働、文化、休暇など。同様のソ連風の記念物があるのは、モスクワの地下鉄駅だけだ。

 パラモノフ倉庫はもともと穀物倉庫であったが、ソ連時代末期には建設資材庫として使われていた。ソ連崩壊後に放置され、火事が何度か起こり、建設資材は略奪された。ドン川河岸のこの場所には特性があり、エンジニアのヤクニンやシュリマンは倉庫を設計する際にその特性をいかした。川の傾斜部にある源泉からは1年中+9° Cの水がわいており、これを溝にためて倉庫の温度を冷やし、天然の冷蔵庫をつくった。

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 溝は壊れたが、源泉からは今でも水がわきでている。これによって倉庫内部に水がたまり、廃墟の源泉水プールという、驚きの場所が生まれた。高いレンガの壁にかこまれたプールの水はとてもきれいだ。夏は太陽の光で水が温められ、冬は源泉が凍結しない。壁面の緑は常緑である。プールの底にあるのは白砂。

 ロストフ・ナ・ドヌ市郊外のドン川下流には、神秘的な中州「ゼリョヌイ島」がある。当時を知る人によると、ソ連内務人民委員部の部隊が独ソ戦争前に島に上陸し、「夜中にトラックで何かを運び出していた」という。また、恐怖心を起こさせ、頭痛や記憶障害を起こさせるような黒い石の噂もある。

 島には通常の4~6倍の実を実らせるさくらんぼの木があり、試食すると不明な病にかかったり、苦しんで死亡したりすると信じられている。研究者によると、島の土壌からは、地球上の自然な状態にある場所では見られない、珍しい化学元素が発見されたという。

 

ロストフ・パパ

 100年以上前に定着した、「ロストフ・パパ」という犯罪イメージもある。大きな港、幹線道路の交差地点、活発な交易という条件は、商人や旅人以外に、多くの詐欺師を寄せ付けた。誰でも受け入れる街の寛大さを皮肉って、「ロストフ・パパ」と呼ぶようになったのである。

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 キーロフスキー大通り(大サドヴァヤ通りと交差する道)はその昔歓楽街で、このギャングのたまり場はボガチャノフスカヤと呼ばれていた。現在は中心部の安全な場所である。

 ヴォロシロフスキー大通りとブジョンノフスキー大通りにも、昔は詐欺師、スリ、闇ブローカーがいて、夜な夜な仕事をしていたが、今ではすっかり雰囲気が変わり、ステータスの高い地区となっている。

 

訪問するならこの時期

 2018年、ロストフ・ナ・ドヌではFIFAワールドカップが行われる。

 5月中旬、チューニング・トラクターのレース「ビゾン・トラック・ショー」が行われる。毎年の観覧者数は1万5000人以上。レースの優勝賞品はトラクター「ベラルーシ」。

 7月上旬、タタール民族祭「サバントゥイ」。開催場所はタタール文化センター「ヤクタシュラル」。

 9月第3日曜日、市記念日。「多民族ロストフ」は、ドン河岸通りで行われる民族料理行列。誰でもここに参加でき、民族料理を味わうことができる。

 

ロストフ・ナ・ドヌの土産物

「ドン・ワイン」。モスコフスカヤ通りとセマシュコ通りには、「ドン・ワイン」の注入店が2店ある。