母なる大河ボルガ

Alamy/Legion Media撮影

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ボルガは世界有数の大河で、欧州では最も長い。あまりにも長いため、水源と河口が別の時間帯にあるほどだ。水源はモスクワとサンクトペテルブルクの中間にあるバルダイ丘陵で、デンマークの緯度に相当する。一方、カスピ海に注ぐ河口はフランス中央部の緯度にあたる。7月末、ボルガのデルタ地帯でハスの花が開くころ、源流にある村ではようやく夏を迎える。

 うっそうたるタイガの「黒い波間」に見え隠れする修道院、木造家屋の漁村、巨大な水力発電所。

 ボルガ流域は豊かな風物詩と民衆の生活が織りなす世界だ。

 バルダイ丘陵の風鈴草、アストラハンのスイカ。ソ連最初の原子爆弾がさく裂した実験跡地。羊を放牧する果てしないステップ、荒野が広がる。塩湖と水没した数十の村落。夏に花開くハスが自生し、漁の網を満たす魚の水しぶき。

 ボルガは広大にして無辺、悠然として時に荒々しいロシアそのものだ。その波間を、各時代に何万もの人々が通り過ぎ、歴史に痕跡を残していった。

 古代ローマ人はボルガ川を「ラー」(気前の良い)と名付けた。沿岸に住むウラル語族のマリ人は「ユル」(長い)、上流域のバルト海沿岸の諸族は「イリガ」(長い)と呼んだ。一方、9世紀のアラブの文献では「アティリ」(川の中の川、つまり川の王様)の名で記された。

 古代スラブでは12世紀初めに成立した「過ぎし年月の物語」(「原初年代記」)に最初の言及がある。

 

反乱の舞台にも

 現在、ボルガ沿岸には22のロシア正教の修道院が残り、イスラム教徒の多いタタールスタン共和国の首都カザンがある。

 ボルガはコサックと農民の蜂起「プガチョフの乱」(1770年代)と「ラージンの乱」(1670年代)の舞台にもなった。

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ボルガ川

 19世紀にボルガとネバの両水系が結ばれ、ボルガの舟ひき約30万人が航行に従事した。彼らの「主都」が上流のルイビンスクだ。

 1929年、ソ連鉄道人民委員部(省)により舟ひきは禁止されたが、支流では独ソ戦の時期まで存続した。

 第二次大戦前にボルガに建設された水力発電所は戦時中、欧州ロシア全域の兵器工場に電力を供給した。

 

百万都市が四つ

 ボルガ沿岸には四つの100万都市がある。ニジニ・ノブゴロド、カザン、サマラ、ボルゴグラードだ。

 全流域で300以上の都市があり、フィン・ウゴル語族から南方の遊牧民にいたる約20の民族が住んでいる。

 アストラハン州のボルガ沿岸に残るステップはユーラシア大陸に広がった大ステップの一部と考えられている。

 

遊牧民の居住地

 このステップは太古から遊牧民の居住地だった。今もカザフ人、タタール人、ノガイ人、トルクメン人など古代遊牧民の末裔(まつえい)が暮らしている。

 無限の平原、1万頭もの羊の群れの放牧地、バルハン(砂丘)、目まぐるしく変わる天候、ベルブリュージヤ・コリューチカ(ラクダが食べるマメ科植物)、砂嵐――これらすべてが遊牧民の自由の象徴だ。

 かつてボルガ下流の平原にはキプチャク・ハーン国の首都サライがあった。

 ソ連時代、ここにはロケット基地「カプスチン・ヤール」が建設され、人工衛星が打ち上げられ、軍事演習が行われた。

 1000キロ北方のボルガ源流には1780年代に古儀式派(分離派)の拠点の一つだった都市ボリスクがある。

 古儀式派の村々のはざまには漁村が点在し、白壁の正教修道院がイスラム風の街並みと隣り合い、うまく調和がとれた風景になっている。