Alamy/Legion Media撮影
うっそうたるタイガの「黒い波間」に見え隠れする修道院、木造家屋の漁村、巨大な水力発電所。
ボルガ流域は豊かな風物詩と民衆の生活が織りなす世界だ。
バルダイ丘陵の風鈴草、アストラハンのスイカ。ソ連最初の原子爆弾がさく裂した実験跡地。羊を放牧する果てしないステップ、荒野が広がる。塩湖と水没した数十の村落。夏に花開くハスが自生し、漁の網を満たす魚の水しぶき。
ボルガは広大にして無辺、悠然として時に荒々しいロシアそのものだ。その波間を、各時代に何万もの人々が通り過ぎ、歴史に痕跡を残していった。
古代ローマ人はボルガ川を「ラー」(気前の良い)と名付けた。沿岸に住むウラル語族のマリ人は「ユル」(長い)、上流域のバルト海沿岸の諸族は「イリガ」(長い)と呼んだ。一方、9世紀のアラブの文献では「アティリ」(川の中の川、つまり川の王様)の名で記された。
古代スラブでは12世紀初めに成立した「過ぎし年月の物語」(「原初年代記」)に最初の言及がある。
反乱の舞台にも
現在、ボルガ沿岸には22のロシア正教の修道院が残り、イスラム教徒の多いタタールスタン共和国の首都カザンがある。
ボルガはコサックと農民の蜂起「プガチョフの乱」(1770年代)と「ラージンの乱」(1670年代)の舞台にもなった。
19世紀にボルガとネバの両水系が結ばれ、ボルガの舟ひき約30万人が航行に従事した。彼らの「主都」が上流のルイビンスクだ。
1929年、ソ連鉄道人民委員部(省)により舟ひきは禁止されたが、支流では独ソ戦の時期まで存続した。
第二次大戦前にボルガに建設された水力発電所は戦時中、欧州ロシア全域の兵器工場に電力を供給した。
百万都市が四つ
ボルガ沿岸には四つの100万都市がある。ニジニ・ノブゴロド、カザン、サマラ、ボルゴグラードだ。
全流域で300以上の都市があり、フィン・ウゴル語族から南方の遊牧民にいたる約20の民族が住んでいる。
アストラハン州のボルガ沿岸に残るステップはユーラシア大陸に広がった大ステップの一部と考えられている。
遊牧民の居住地
このステップは太古から遊牧民の居住地だった。今もカザフ人、タタール人、ノガイ人、トルクメン人など古代遊牧民の末裔(まつえい)が暮らしている。
無限の平原、1万頭もの羊の群れの放牧地、バルハン(砂丘)、目まぐるしく変わる天候、ベルブリュージヤ・コリューチカ(ラクダが食べるマメ科植物)、砂嵐――これらすべてが遊牧民の自由の象徴だ。
かつてボルガ下流の平原にはキプチャク・ハーン国の首都サライがあった。
ソ連時代、ここにはロケット基地「カプスチン・ヤール」が建設され、人工衛星が打ち上げられ、軍事演習が行われた。
1000キロ北方のボルガ源流には1780年代に古儀式派(分離派)の拠点の一つだった都市ボリスクがある。
古儀式派の村々のはざまには漁村が点在し、白壁の正教修道院がイスラム風の街並みと隣り合い、うまく調和がとれた風景になっている。
ロシア・ビヨンドのニュースレター
の配信を申し込む
今週のベストストーリーを直接受信します。