クリミアの邸宅

ツバメの巣=Lori/Legion Media撮影

ツバメの巣=Lori/Legion Media撮影

ロマノフ家お気に入りの保養地であり、またロシアの芸術家にとってインスピレーションの源でもあったクリミアには、長い歴史をもつ建築遺産が詰まっている。

 何日、何ヶ月、何年、人々はクリミアで羽を伸ばしたことだろう。ロシアの作家レフ・トルストイは、ここクリミアに葬られることを望んだそうである。伝説的オペラ歌手フョードル・シャリャーピンはクリミアの邸宅で自伝を書いた。今もサザビーのオークションではヒーロー的存在である海洋画家アイヴァゾフスキーも、このクリミアの自邸のテラスで有名な風景画を描いた。ロシア最後の皇帝ニコライ2世もまた、クリミアの宮殿に魅せられたひとりだった。

 クリミアの主要なこれら「人工的名所」――黒海沿岸に散りばめられた建築の真の至宝――をロシアNOWがご案内しよう。

 

リヴァディア宮殿 

リヴァディア宮殿=Lori/Legion Media撮影

 クリミアの最も豪華な離宮のひとつであるリヴァディア宮殿は、ロシア帝国時代、ツァーリの家族のためにたてられた最後の離宮である。1945年のヤルタ会談の舞台としても知られる。

 イタリア風にたくさんのアーチ型の穴があいた、細長く白い建物は1911年に建てられた。このプロジェクトを提案したのはクリミアの建築家ニコライ・クラスノフ。ニコライ2世はこの建物の離宮の建設に、革命前のルーブル金貨にして400万ルーブル(参考として、1911年の中級官吏の年俸は4000ルーブル。離宮建設費の1/1000である。)。1993年からリヴァディア宮殿は博物館に指定されている。

 離宮はヤルタ市街から3キロ、リヴァディアに位置している。

 

マサンドラ宮殿

マサンドラ宮殿=Lori/Legion Media撮影

 ルイ13世期の様式をもつこの宮殿は、早くに主を失った。設計者は、貴族であったセミョーン・ヴォロンツォーフ公お抱えの、フランス人建築家エティエンヌ・ブシャールだった。しかし、将来の宮殿の主となるべきであった公は、プロジェクトの具体化を見ることはなかった。公は1882年に亡くなり、宮殿の建設は凍結された。7年後、公の所領は皇帝アレクサンドル3世のために帝室に買われた。その3年後に宮殿は完成したが、皇帝もまたこの宮殿に住むことはなかった。皇帝はすでに1894年に亡くなっていた。領地はニコライ2世に受け継がれた。

 ソ連となった1930年代に宮殿は「プロレタリアートの健康」という名の結核患者のサナトリウムとして転用された。第二次世界大戦後は政府の別荘「スターリンスカヤ」として使われ、スターリン、フルシチョフ、またブレジネフがここを保養に訪れた。

 宮殿博物館は9時から18時まで営業、上マサンドラの村に位置する。

 

ツバメの巣 

 この宮殿は、19世紀末の露土戦争終結後に退役したロシア軍将官のために建てられたが、その将官の名は歴史の上には残っていない。その代わりに、宮殿の最初の主によって『愛の館』と呼ばれ、画家イワン・アイヴァゾフスキーの油彩画と当時の写真によって知られている。

 オーロラ・クリフと呼ばれる断崖に宮殿が建てられてから、この宮殿の主は、宮廷付きの医師の一族、その後はモスクワの女商人ラフマニノワ、と何度か交替した。ラフマニノワは最初に建てられていた木造の建物を取り壊し、その場所にまた新たな木造の館を建設した。現在の名「ツバメの巣」をこの館に与えたのもまた、ラフマニノワである。

 現在まで残っている中世ゴシック建築の建物は、「ツバメの巣」の最後の所有者である石油業者シテインゲルによるものである。のちにクリミアのシンボル的存在となる、40メートルの断崖の上の、このゴシック・ミニアチュールの建物は、1912年に新たに建て直されたものである。建物の中には玄関と客間、2階建ての塔にある2つの寝室に続く踊り場しかない。

 第1次世界大戦が始まるとシテインゲル男爵はドイツへと去り、「ツバメの巣」はモスクワの商人へと売却されレストランとしてオープンしたが、この商人の死後レストランは閉鎖された。1927年に起こった震度9(注:ロシアや旧ソ連、中欧で使われる震度等級)の地震で損傷した後、40年間閉鎖されていたが、復旧後再び「ツバメの巣」はレストランとして利用されている。

 「ツバメの巣」はヤルタ近郊、ガスプラから近い場所に位置している。

 

パニナの宮殿

パニナの宮殿=Lori/Legion Media撮影

 キヅタのからまった美しいギザギザの塔と、ゴシック風のファサードをもつこの中世風の宮殿は、19世紀前半に建てられ、有名なロシア貴族であったゴリーツィン公が所有していた。

 建物は有名なモダン派建築家フョードル・シェーフテリの設計による。

 このガスプラの宮殿は、ゴリーツィン公一族から貴族のコチュベーイ家の所有に移り、さらに大富豪ソフィア・パニナの手に渡った。彼女の名と宮殿は、ロシアの作家レフ・トルストイの2年間の生活と関係している。彼女がトルストイを宮殿に招待し、彼がガスプラに滞在していた間、チェーホフやゴーリキー、クプリーン、またシャリャーピンが作家のもとを訪れている。

 最後にトルストイがガスプラを訪れたとき、彼は風邪をひき、一時は治療医が回復を絶望視するほど彼の体調は悪くなった。トルストイは、自身の遺体のことで周囲に迷惑をかけることのないよう、またクリミアで自身を埋葬してくれるよう望み、この宮殿のとなりの土地に小さな土地まで買った。しかしトルストイは回復し、そのあと8年間生き続けた。

 宮殿はガスプラの街に所在する。現在ここには小児療養所「ヤースナヤ・ポリャーナ」があり、1階では作家トルストイを記念した展示が行われている。

 

ユスーポフの宮殿

ユスーポフの宮殿=Lori/Legion Media撮影

 ルネッサンスの要素と新ロマン主義建築からなる宮殿は、元モスクワ総督フェリックス・ユスーポフ公のためにクリミアの建築家ニコライ・クラスノフが建てたものである。最後に行われた再建もまたニコライ・クラスノフの指導により、フェリックスの息子フェリックス・ユスーポフ2世(グリゴリー・ラスプーチンの殺害に参加していたことで知られる)のために行われた。しかし彼は完成した姿に満足がいかず、この建物について、「海岸に存在するにふさわしくない、凡庸な壁でできた醜い建築物」だと評している。

 獅子の彫刻や、ヴェネツィアから運んできた大理石製のギリシア神話の登場人物の像によってアーチや階段の踊り場が飾られている一方、インテリアはモダン・スタイルとなっている。

 ユスーポフの宮殿の公園をつくったのは、当時の有名な造園家カルル・ケバフであった。広場は実に16.5ヘクタールを占め、7500本の木や灌木で飾られている。

 宮殿はコレイズの街に所在する。

 

ヴォロンツォーフの宮殿

ヴォロンツォーフの宮殿=Lori/Legion Media撮影

 この宮殿は、19世紀に中頃、ノヴォロシースク州総督だったミハイル・ヴォロンツォーフのために建てられた。設計者は英国女王ヴィクトリアの宮廷付き建築家であったエドワード・ブロアで、ロンドンのバッキンガム宮殿を完成させ、スコットランドの作家ウォルター・スコットの邸宅を設計したことで知られる。宮殿の南側ファサードは海に面したムーア式建築となっている。どこか、アラブ人支配下にあったスペインのグラナダ、14世紀末に建てられた有名なあのアルハンブラ宮殿を思い起こさせる建築である。

 ファサードの深いくぼみのある壁には、アラビア語の碑文を模してグラナダのカリフのモットー「アラーの他に勝利者なし!」が6回繰り返されて書かれている。宮殿のファサードの前には「獅子のテラス」がつくられ、そこからは3対の白い大理石の獅子が並ぶ階段がつづいている。上段の「眠らぬ獅子」は、ローマにある教皇クレメンス12世の廟にあるアントニオ・カノーヴァ作の獅子のコピーである。

 宮殿の後ろのファサードとその西側部分は、16世紀から17世紀初めの「テューダー朝様式」をテーマとした、ロマン主義建築のヴァリエーションで構成されている。宮殿群を構成する建物は、補助的な部屋も含めると約150もの部屋からなる。

 現在、宮殿の建物は博物館として利用されている。ヴォロンツォーフの宮殿はアルプカの市街に位置している。

 

クズネツォーフ伯爵の宮殿 

 19世紀半ば、茶と陶磁器の豪商であった伯爵アレクサンドル・クズネツォーフはフォロスに領地を得た。クズネツォーフ夫妻は結核に苦しめられており、クリミアに住む必要があった。クズネツォーフの宮殿はクラシックなロシアスタイルで建てられ、この宮殿に特有なシンプルで端正な形式をもっている。クズネツォーフの領地のこの端正な美しさは、公園の自然の豊かさによって強調されている。ここには200種類以上の木や灌木が集められ、シュロやモクレン、セコイア、西洋スギ、マツ、カサマツ、イトスギ、モミが植えられた公園は、クリミアでは特異なものであるだけでなく、エキゾチックな風情も漂わせる。とりわけ目を引くのは、6つの湖から落ちる絵のような滝がある、『桃源郷』と呼ばれる場所である。

 クズネツォーフの死後、屋敷は商人ウシャコフの手に渡った。1916年には彼の家で、作家マクシム・ゴーリキーと歌手フョードル・シャリャーピンが、シャリャーピンの自伝『シャリアピン自伝』執筆のため6週間にわたって作業を行った(1926年に『シャリアピン自伝:私の生い立ち』、1932年に『シャリアピン自伝:蚤の歌』が刊行されており、いずれも日本語訳がある)。

 宮殿はフォロスの街に所在、現在は療養所の建物として使われている。

 

アイヴァゾフスキーの家と美術館

アイヴァゾフスキー美術館=Lori/Legion Media撮影

 海洋画家イワン・アイヴァゾフスキーの名を冠した国立美術館はフェオドーシヤの街にある。この美術館は、ロシア帝国領で初めての、単独の画家の作品を総集する美術館となった。

 1900年、アイヴァゾフスキーが亡くなると、その遺言に従って画家の故郷の街に美術館が建てられた。美術館には12000もの海をテーマとした画家の作品が集められ、そこには世界最大のアイヴァゾフスキーの作品コレクション(417点)も含まれる。

 アイヴァゾフスキー美術館はフェオドーシヤ市に所在(美術館通り2番地および4番地)。

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