知られざるウラジオストク

ルースキー島では、20世紀初めに造られた火薬庫、多数の兵舎の廃墟、入り江の岸で錆びつつあるソ連時代の軍艦の残骸を目にすることができる=写真提供:アーシャ・オルロワ/ vladivostokasya.livejournal.com/

ルースキー島では、20世紀初めに造られた火薬庫、多数の兵舎の廃墟、入り江の岸で錆びつつあるソ連時代の軍艦の残骸を目にすることができる=写真提供:アーシャ・オルロワ/ vladivostokasya.livejournal.com/

近年、ロシアの当局は、ウラジオストクを「アジア太平洋地域における国際協力の拠点」にしようと努めているが、まだまだ隠れた魅力がたくさんある。

 ウラジオストクは、軍の施設があるためにソ連時代は「閉鎖都市」だったが、今ではすっかり開放されている。ここでは、2012年のAPEC首脳会議や2013年の第一回ロシア音楽ショーケース・フェスティバル「V-ROX」といったさまざまな国際的イベントが催されており、いろいろなガイドブックやフォトアルバムも次々に刊行されているが、その内容は、海の景色、新設された橋、海岸通り、港、博物館、劇場など、お決まりのものばかり。しかし、ウラジオストクは、まさに「氷山の町」とみなすことができ、知る人ぞ知るその「水面下の部分」は、このうえなく興味深く、観光都市ではないオータナティヴなウラジオストクは、もしかすると表向きのオフィシャルなウラジオストク以上に趣深い。

 

1. 軍の考古学 

 ウラジオストクは、軍事都市で、ここには、太平洋艦隊の司令部や一連の軍の部隊がある。ツァーリやソビエトの時代から、町じゅうにさまざまな軍用の隧道が掘られたが、現在、その多くは放置されたままとなっており、地元の「ディガーズ」は、ウラジオストクの地下をめぐる探検ツアーを組織できる。ルースキー島では、20世紀初めに造られた火薬庫、多数の兵舎の廃墟、入り江の岸で錆びつつあるソ連時代の軍艦の残骸を目にすることができる。

 

2. 歴史ある建物 

 創建してまだ150年余りのこの町には、古い建物はそう多くないが、ウラジオストクの旧市街には、独特の趣がある。たとえば、なぜか「灰色の馬」と呼ばれているアレウーツカヤ通りの「スターリン・アンピール」様式の二棟の建物。それらの「馬」の一つでは、1978年に、ウラジオストクを代表する詩人ゲンナジー・ルィセンコが自ら命を絶っている。

 かつて根城や売春宿や阿片窟が犇めいていた旧い街「ミリオンカ」の「オチクール(ウラジオストクではあらゆる裏通りや狭い路地などがそう呼ばれている)」も、ほかに類を見ない。

 ラゾー通りにある別の古い建物は、1920年にそこで有名な赤軍のパルチザンであるセルゲイ・ラゾーが日本の干渉軍に拘束された(後に処刑された)ことで知られる。ユリアン・セミョーノフの長編小説「合言葉は要らない」によれば、その二年後、その建物には、後に人気テレビドラマ「春の十七の瞬間」の有名な主人公シュティルリッツとなるソ連の諜報部員マクシム・イサーエフ(ウラジーミロフ)が住んでいた。

 

3. 「ゴスチーンカ」と「フルシチョーフカ」 

チュルキン地区の「ゴスチーンカ」=写真提供:アーシャ・オルロワ/ vladivostokasya.livejournal.com/

 町の中心から少し外れた「ベッドタウン」の一つには、「ゴスチーンカ」と呼ばれる灰色をした四角く陰気な建物が並ぶ。それらの建物のなかには、小さな住居がいくつもあり、そこでは、貧民、流れ者、学生らが暮らしている。ウラジオストクのハーレムまたはイーストエンドと言える「ゴスチーンカ」の見学は、危険をともなうのでお薦めできない。アートハウス系の監督ニコライ・ホメリキは、まさに「ゴスチーンカ」にインスパイアーされて、ウラジオストクで映画「暗闇の物語」を撮影した。ダリヒムプロム、ズメインカ、チーハヤ、チュルキンといった場末の地区の「ゴスチーンカ」が広く知られている。

 ちなみに、金角湾の南岸にあるチュルキン地区は、湾を跨ぐ橋や歌劇場が造られたりして、最近は洗練されつつある。

 「ゴスチーンカ」のほか、ウラジオストクには、ほかのロシアの都市と同様、狭い住居を収容する五階建ての建物「フルシチョーフカ」も少なくない。「フルシチョーフカ」は、1960年代初めにさかんに建設されたが、サハリンスカヤ通りの「フルシチョーフカ」は、犯罪が横行した1990年代の真の記念碑と言える。20年ほど前、地元の犯罪界の「ドン」を殺害しようとして爆破されたその建物の一隅は、ほかのパネルとは異なる色のパネルで修復されている。サハリンスカヤ通りからほど近い「モルスコエ(海の)墓地」には、有名な探検家で作家のウラジーミル・アルセーニエフ、世界初の遠洋航海の女性船長アンナ・シチェチーニナ、1904年に日本の艦隊との多勢に無勢の戦いに臨んだ伝説の巡洋艦「ヴァリャーグ」の水夫たちばかりでなく、1990年代のマフィア同士の抗争の犠牲者たちも眠っており、それらのやくざ者たちの墓碑は、馬鹿でかく豪奢なので、遠目にもすぐそれと分かる。

 

4. 自動車市場「ゼリョーヌイ・ウーゴル」 

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日本車はウラジオで

 ガイドブックには載っていない名所の一つは、日本の中古車が売られている「ゼリョーヌイ・ウーゴル(グリーンコーナー、緑の一隅」。この20年、ここへは、シベリアその他のロシアの地域から多数の顧客が訪れている。自動車ビジネスは、単に地域経済の一部門となったばかりでなく、連邦中央によるあの手この手の妨害にもかかわらず、ウラジオストクの生業そのものと化した。この自動車市場は、市の外れのいくつかの「ソープカ(ウラジオストクでは小さい山や丘はそう呼ばれる)」に跨っており、そこには、無数の自動車や小さな軽食堂が並んでいて、そこでは、ウィスキー、ブランデー、煙草といった日本からの密輸品も買える。この辺りには、自動車部品を売る自動車解体所やガレージもたくさんある。ちなみに、ウラジオストクの男性は、人生の大半をガレージで過ごしており、彼らはそこで、友と語らい、シャシルィーク(串焼き肉)を焼き、自動車を修理する。

 

5. 「チファーニカ」 

 高いレストラン(ウラジオストクは物価が高く、軽食堂の値段はモスクワと変わらない)の代わりにお薦めなのは、中華の「チファーニカ(「食べる」を意味する中国語「吃饭(チーファン)」から)」。ここでは、欧風にアレンジした安くておいしい中華料理が食べられる。「チファーニカ」は、ウラジオストクのどこの地区にもあるが、とくに中国市場に隣接したスポルチーヴナヤ通り界隈に多い。 

 街角のファストフードとして人気があるのは、肉とキャベツを具にした朝鮮風の蒸しまんじゅう「ピャンセー」で、これは、ロシア化したサハリンの朝鮮族の人たちが発明したとみなされている。

 

6. 「ソープカ」 

写真提供:アーシャ・オルロワ/ vladivostokasya.livejournal.com/

 ウラジオストクの特徴の一つは、地元では「ソープカ」と呼ばれる丘の連なる地形。「ソープカ」は、高層住宅が立ち並ぶものもあるが、手つかずの自然のままのものも多い。そんなソープカの一つ「ホロジーリニク」には、今もソ連時代の古い大砲が置かれており、そこからは、もっとも風趣に富んだ町の景色が一望できる。