水上の博物館

2013年の夏、ソロヴェツキー海洋博物館は、ヨット「スヴァトーイ・ピョートル(聖ペテロ)」号の進水式を行った=ロスティスラフ・ヴィレグジャーニン / モスクワ・ニュース撮影

2013年の夏、ソロヴェツキー海洋博物館は、ヨット「スヴァトーイ・ピョートル(聖ペテロ)」号の進水式を行った=ロスティスラフ・ヴィレグジャーニン / モスクワ・ニュース撮影

2013年の夏、ソロヴェツキー海洋博物館は、ヨット「スヴァトーイ・ピョートル(聖ペテロ)」号の進水式を行った。かつてピョートル1世が乗船してあの有名なソロヴェツキー諸島を訪れた船のレプリカだ。このヨットは水上の博物館となり、将来は白海やバレンツ海で学術調査を行うという。

ピョートル一世が建造した初の海洋船

 「スヴャトーイ・ピョートル」号は、元々は、1693年にオランダ人技師らの指導のもとアルハンゲリスクで地元の造船業者によって建造され、ロシアのバルト海沿岸地域への拡大や大改革で知られるピョートル大帝の最初の海洋船となった。

 1694年、若き皇帝は、この船でソロヴェツキー修道院を訪れたが、アルハンゲリスクからソロヴェツキー諸島を目指して白海を渡っていると烈しい時化に遭った。しかし、舵取りは、ヨットをなんとかウンスカヤ湾へ寄せることができた。

 嵐がおさまると、ピョートルは、自ら高さ2メートルの十字架を造り、奇跡的に救われた場所にそれを立てた。その後、ソロヴェツキー諸島を訪れると、ピョートルは、地元の修道院の波止場のそばに礼拝堂と大きな十字架を造るよう命じた。

 

その後の運命 

 小さな帆船には、オランダ式の真っすぐな帆と斜めの帆をもつマストが備わっており、船上には、初めてロシアの皇帝旗が掲げられた。国家の聖物であるそのモスクワ皇帝の旗は、保存されているロシアの三色旗のうちでもっとも古いものであり、現在は、サンクトペテルブルグの中央海軍博物館に収蔵されている。

 このヨットは、アルハンゲリスクで最初の博物施設となった。1720年代末に再利用の可能性を探るための検査が行われたが、船体は文字通りぼろぼろの状態であった。アルハンゲリスク当局はそれを解体しようとはせず、結局、1730年頃にこの船はばらばらに壊れた。

 

ソロヴェツキー諸島

 ソロヴェツキー諸島には、15世紀にソロヴェツキー修道院が開かれたが、20世紀には、ノーベル賞作家アレクサンドル・ソルジェニーツィンの名著「収容所群島」にも登場するソロヴェツキー特別収容所が置かれた。ソビエト政権の敵対者を収容する最初の強制収容所の一つだ。

 

ソロヴェツキー海洋博物館

 「スヴャトーイ・ピョートル」号の建造には、かつてソロヴェツキー修道院の重厚な壁が造られたのと同じ10年という長い歳月が費やされた。すべてを大陸から島嶼へ運ぶ必要があり、これが工程を長引かせ、難しくし、高くつくものにした。冬場は、この島々は寒さが厳しく、大陸との水上連絡が途絶えるため、数年間、作業は、夏場にしか行われなかった。もしも島嶼でなければ、ヨットは3年で完成していただろう。

 プロジェクトのキュレーター、ドミトリー・レーベジェフさんは、こう語る。「けれども、とくに急ごうとする者はなく、造っているときにもう目的は達せられていたんです。私たちはここに、日々の生活に欠けており私たちが夢見ていた“パラレルな空間”を創り出しました。ですから、完成を心待ちにする者はなく、今、私たちは、ぽっかり空いた心の穴を何で埋めたらいいかわからない状態です」。

 

生命を吹き込む 

 空虚は、文字通りの意味でも生じていた。というのも、造船所は、ここ何年もソロヴェツキー海洋博物館の一部となっていたからだ。このユニークな施設は、湾の岸辺の古い倉庫に置かれていた。その建物は、元々は漕ぎ船を保管し修理するためのもので、かつて修道院が所有していたが、2000年代初めに北方海洋航行組合に移管され、この社会団体が、それを半壊の状態から甦らせたのだ。

 上段には、白海やバルト海の航海を紹介する展示が設けられ、下段では、造船所が営まれた。この「生きている」博物館を訪れる人たちは、木造船の骨組が造られ、船に板がかぶせられ、建造中のヨットに様々な装備や木彫の装飾が施される過程を、年々、見守ることができた。ちなみに、ソロヴェツキー海洋博物館は入館無料だ。

 

ピョートル大帝もビックリ?

 ヨット「スヴャトーイ・ピョートル」号は、「復元品」ではなく「複製品(レプリカ)」なので、モーターその他の現代の船の装備がすべて備わっている。北方海洋航行組合は、今後、このヨットを白海の海底の調査や新しい展示物の収集のために利用するという。

 纜を切りシャンパンの瓶を船体にぶつけて割る進水式には、あらかじめメディアも招待されていたが、思わぬハプニングが起きた。水に入る手前で、20トンの船が、船架をたわめて、そこにはまり込んでしまった。

 祝典前夜の11時、「スヴャトーイ・ピョートル」号を引っ張り出す最後の試みを見物しようと、大勢の人が岸辺に集まった。突然、誰かが、集まった人たちの体重を最大限に利用するために、浮橋の一方の端へ寄るようみんなに呼びかけた。

 見物人たちは、カメラをしまい、急いで浮橋に乗り移り、その冷たい手摺を握りしめ、自分たちの動きをシンクロさせて規則正しく揺さぶれるように、「せーの」の合図で立ったり座ったりを繰り返しはじめた。この椿事は、どこか予め計画されたパフォーマンスを想わせた。

 午前3時過ぎ、歓声と拍手の嵐のなか、むっくと体を起こした船は、めでたく危険ゾーンを脱することができた。