チュコフスキーの住居博物館は、父親の作品の著作権を継承した詩人の4人の娘の一人、リジア・チュコフスカヤさんの奔走により、開設された。 、チュコフスキー博物館の内部=T・ボロンツォワ、ロシア通信撮影
チュコフスキー
児童文学作家で文芸評論家のコルネイ・チュコフスキーは1966年に亡くなる数年前にペレジェルキノへ移り住んだ。
国民に広く愛され数々の国家賞を受賞したチュコフスキーは反体制派の人々とも親交を結んだ。
自分の別荘でチュコフスキーは近所の子供たちとの触れ合いの場を設け、詩を読んで聞かせ、宇宙飛行士や作家や詩人たちを招いた。
パステルナーク
パステルナーク博物館=V・ロジオノフ、 ロシア通信撮影 |
20世紀最大の詩人の一人、ボリス・パステルナークは、1936年にペレジェルキノに移り住んだ。
それから、詩人が詩を一行も書けなかった「耐えがたく長い(10年)幕間の終わり」(女流詩人アンナ・アフマートワの言葉)が訪れた。
パステルナークは41年の連作詩「ペレジェルキノ」を自身の最高傑作とみなしている。長篇小説「ドクトル・ジバゴ」を書き上げたのもここペレジェルキノだった。
詩人は1960年5月30日、自宅で亡くなり、ペレジェルキノ墓地に葬られた。90年2月10日、生誕100周年に際して詩人の家に博物館が開設された。
博物館管理人の孫娘、エレーナ・パステルナークさんは「私は家のなかの特別な物の配置を会得した」という。
壁には、レフ・トルストイの作品の挿絵を描いた絵画アカデミー会員である父親のレオニード・パステルナークの絵。家具、花瓶、植木鉢の花、書物。すべてが昔の場所に置かれ、「特別な物の配置」がよみがえっている。
パステルナーク、ノーベル賞を無念の辞退
1946年から50年までパステルナークは毎年、ノーベル文学賞候補としてノミネートされていた。
58年、前年の受賞者であるアルベール・カミュの推挙を受けノーベル文学賞を受賞した。詩人はペレジェルキノの自宅で吉報に接した。イワン・ブーニンに次ぎロシアで2人目の受賞者だった。
しかし、フルシチョフ共産党第1書記兼首相をトップとする当時のソ連指導部は長篇小説「ドクトル・ジバゴ」を反ソ的作品とみなした。
ソ連国内ではパステルナークに対する中傷キャンペーンが繰り広げられ、パステルナークは、やむなく受賞を辞退することになった。
オクジャワ
ソ連の歌う詩人ブラート・オクジャワは1987年に作家同盟からペレジェルキノの別荘を借り受けた。そこで、ブッカー賞受賞の長編小説「廃れた劇場」のほか数々の歌や詩が生まれた。
97年の死去から1年後、「ブラート・オクジャワ博物館」が開設された。「ブラートの土曜日」というコンサートや、子供の祭典「ブラートの日曜日」が催され、秋にはオクジャワの信奉者たちがオクジャワの詩を朗読し歌う。
ロシア語、日本語、スウェーデン語、フランス語、ヘブライ語などでオクジャワの歌が披露されるブラート・オクジャワ国際吟遊詩人フェスティバルが開催される。
ロシア・ビヨンドのニュースレター
の配信を申し込む
今週のベストストーリーを直接受信します。