ソ連では外国の製品を手に入れることはできなかったものの、ソ連の女性たちは世界のファッションの流行にけして遅れをとっていなかった。だって、女性は、素敵なバッグなしでは生きられないものだからだ。そしてもちろんその素敵なバッグには必要なものがたくさん入った方がよかった。さて、ソ連の女性たちはどんなバッグを持っていたのだろうか?
財布のような留金のついた手提げのバッグ。レティキュールはたくさんのものを入れることができた。ソ連のレティキュールはお出かけのときだけでなく、エレガントな洋服に合わせて普段使いもできた。
レティキュールはさまざまな大きさのものがあったが、カラーは黒か茶色が一般的であった。
学校や職場に持っていくのに使われたバッグは、1日中、ノートや書類が折れたりシワになったりしないよう形がしっかりしていた。もちろんこうしたバッグにはビジネススタイルの服装がよく合った。
職場用のもう一つのバッグといえば、ハンドルが1つか2つ付いた形のしっかりしたハードな素材のバッグである。上部にはファスナーか金属製の留金がついていた。すでに1950年代には人気となっていた。
封筒のような形をしたクラッチバッグはカラフルな夏の装いにピッタリ。しかも大容量でとても便利なものであった。
レティキュールの「お姉さん的存在」のカーペットバッグのような形をした大きめのバッグ。あれこれなんでも入れることができた。1960年代から1970年代にかけて特に人気があった。一般的に色はブラウンとべージュが主流であった。
すでに1930年代からソ連では軍事産業でファブリコイドと呼ばれる人工皮革が使われるようになっていたが、このファブリコイドは丈夫で安価だったため、バッグの素材にも最適であった。
もともとこのバッグは「アヴォシカ」と呼ばれる買い物用のバッグだったが、ソ連の若い女性たちはこれをおしゃれなアクセサリーにした。1960年代、世界的な「プラスチックブーム」が到来し、ソ連もその例外ではなかった。プラスチック製のバッグはとても安く、カラーも豊富で、また形もしっかりしていた。現在、中が透けて見えるバッグは再びトレンドとなり、流行のピークを迎えている。チェックしてみて!
ポリエチレン製のバッグと言っても、買い物バッグとは限らない。1960年代にはとてもおしゃれなポリエチレンバッグが作られ、一定数のファンがいた。とはいえ、もちろん、重いものは入れられなかった。
麦わらで編んだかごバッグは太古の昔から夏になると流行した。ソ連時代には、天然の麦わらで編まれたものも、プラスチックで編まれたものも作られていた。ビーチやダーチャ(郊外のサマーハウス)に持っていくのにピッタリなものであった。しかも苗木を入れることもできた!
若者たちの間では、ミュージシャンの肖像画が入った布のトートバッグがとても流行った。ちなみにそうしたバッグは今も人気がある。布のバッグは自分で作り、刺繍やアップリケで飾ることもできた。
1980年代になると、若者の間で、モスクワオリンピックのエンブレムが入ったバッグ、あるいは単にスポーツスタイルのバッグを持つことがおしゃれとされた。こうしたバッグも人工皮革のファブリコイドで作られていた。
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