ソ連の航空会社「アエロフロート」はなぜ広告を出したのか?

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 「アエロフロート」の飛行機に乗ってください!」ソ連の各都市の中心部には、このようなコピーが書かれた大きくてカラフルなポスターが掲げられた。このスローガンを今、見ると、かなり奇妙な印象を持つ。というのもアエロフロートはソ連で唯一の航空会社であり、アエロフロート以外の飛行機というのものは存在しなかったからである。 

 しかし、ソ連の市民はこうした広告にまったく驚かなかった。飛行機は当時、かなり新しい交通機関であり、人々が使い慣れてた列車と競争することを余儀なくされたからだ。ポスターは、一般の人々に、もし休暇に黒海沿岸のリゾート地、ソチに行くときに、飛行機に乗れば休暇の時間をどれほど節約できるかということを説いた。 

 1950年代、「アエロフロート」ではTu-104といった近代的なターボジェット双発旅客機が使われるようになった。より多くの乗客を運べる航空機である。また「アエロフロート」は国内線に加えて、国際線も就航させた。冷戦時代だったにもかかわらず航空機は、ヨーロッパ、アメリカ、カナダにも飛んだ。こうした航空機で働くキャビンアテンダントたちは、語学の高い教育を受けた人が少なくなかった。

 さらに、モスクワは、ヨーロッパからインド、インドネシア、中国などに移動する外国人観光客にとっての乗り換えの場所であった。ソ連の航空会社はこうした観光客を相手に、英語でも多くの宣伝を行った。モスクワ経由で飛ぶ利点をアピールしたのである。

 1970年、ソ連は外国の航空会社に対し、シベリア鉄道の上空を飛行することを許可した。また燃料補給のためにモスクワに着陸しても良いとした。これにより、アジア、アフリカ諸国への航路を大幅に短縮することができたのである。こうしたフライトを初めて行ったのはエアフランスとJALであった。

 「アエロフロート」は2023年に創設100年という記念日を祝っている。この間、キャビンアテンダントたちの制服がどのように変遷したのかはこちらからどうぞ 。

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