アリョーナ・レプキナ画像
農民の中でやせは自然な状態であった。持続的な肉体作業とひんぱんに起こる食べ物の不足は、減量をうながした。農民は仲春から農場に出始め、絶え間なく作業し、またそこで寝ていた。食べ物は暑さで傷んでしまうため、農場にはパンと壺に入った酸乳しか持ち込まず、畑や森で育つキャベツ、カブ、スイバ(ほうれん草のような植物で、酸味がある)、漿果、キノコを食べていた。どれも低カロリー食である。普通の農民は甘い物を食べることはできなかった。砂糖はとても高く、蜂蜜は祝日にまたは薬として摂取するのみだったし、ヴァレニエ(ジャム)も珍味であった。
アリョーナ・レプキナ画像
正教の習慣もまた、普通の民衆の自然の減量をうながした。正教会の決まりでは、毎週水曜日と金曜日は斎日とされ、肉・乳品、卵を食べてはいけないだけでなく、食事の量を制限しなければならない。また、年4回、長い斎期を守る。春の大斎期と冬の降誕斎期は49日続き、さらに数週間(パスハすなわち復活祭の日によって変わる)、聖使徒ピョートル斎期と生神女就寝斎期が続く。斎期はとても厳格で、週の何日かは動物性タンパク質だけではなく、植物油も摂取してはならず、また食事の量を制限しなければならない。定期的な痛悔および聖餐の前にも、3日間斎戒する必要があった。
アリョーナ・レプキナ画像
余分な体重の増量や多くの病の防止に効果のある手段として、ルーシにはバーニャがあった。毎週土曜日はバーニャの日であった。水や蒸気は汚れだけでなく、悪い考えや罪も洗い流すと考えられていた。現代の生理学者によれば、高温の影響を受けた後で、冷たい水の中に入ると、余分な脂肪がつかず、代謝を活発にするという。昔は痩身を目的としてバーニャに入る人はいなかったが、今日ではとても人気のある方法となっている。
アリョーナ・レプキナ画像
普通の民衆とは異なり、上流社会の人々はぜいたくな食事をとることができたため、量の制限について考えなくてはならなかった。体格の良い、引き締まった統治者として記憶されているピョートル大帝は、食事の量に注意していた。毎朝5時前に起床し、さっさと朝食を済ませ、仕事に励んでいた。昼食は正午前にとった。メニューには通常、具だくさんの酸味のあるシチー(キャベツのスープ)、冷たい焼き鴨または冷たいサワークリーム付け子豚肉、ハムまたはチーズが含まれていた。ピョートル大帝は自分の庭園の果物が大好きだった。タンパク質および野菜と新鮮な果物を組み合わせた食事を好んだ。
アリョーナ・レプキナ画像
ロシア帝国の上流社会は、夕食をとらずに体型を維持していたことで知られている。ロシアの作家イワン・ゴンチャロフの「普通の歴史」にも、そのことが記されている。登場人物のサンクトペテルブルクの下流社会に属さない一人は、夕食を農民と田舎者の習慣だと考えている。多くの皇帝が夕食をとらなかった。ニコライ1世は夕食をとったことがなかった。とはいえ、昼食の時間が遅く、夕方の5~6時頃であった。
ロシア・ビヨンドのニュースレター
の配信を申し込む
今週のベストストーリーを直接受信します。