「ウクライナ」ホテル=
ロシア通信/イヴァン・デニソフ「杉原さんの功績がユダヤ人への対応だけだと考えるのは正しくない。諸国民の中の正義の人であり、イスラエル以外からも認められた。教徒であった日本ハリストス正教会は、杉原さんを聖人として崇めている。もっとも困難な時代に、自分の人生をリスクにさらしながら、他の人々を救った人物である」とカンネル理事。
REKはモスクワ市役所に、「ウクライナ」ホテルの内部だけでなく、外部にも記念プレートを設置することを許可するよう求めた。
杉原さんの功績があってから今年で75年目を迎える。REKによると、数千人のユダヤ人が1940年8月、ナチス・ドイツの占領下にあったポーランドから、リトアニアを含むソ連領内に逃れてきた。これらのユダヤ人には合法的にソ連に残る手段がなく、送還が控えていた。この状況で、カウナス(当時のリトアニアの首都)で副領事を務めていた杉原さんは、ソ連経由で日本に入国するトランジット・ビザを発給することを決意する。
発給したビザは全部で2139枚だったとも言われている。家族に発給されたビザがあったことも考えると、杉原さんのおかげで約6000人が出国することができた。戦後、外務省を退職した杉原さんは、自身の行動をひけらかすことはなかった。1984年、死去する2年前に、イスラエルの研究所「ヤド・ヴァシェム」の関係者が「諸国民の中の正義の人」の称号を与えるため、杉原さんと連絡をとった。杉原さんのことが世界に知られたのは、この時である。
杉原さんは1941年3~10月、ケーニヒスベルク(現在のカリーニングラード)で勤務。1963~1971年、ホテル「ウクライナ」にあった日本の会社の支店で働いた。
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