故郷は人造湖に水没

1930年代、ソ連政府決定により人造湖をつくるために約200の村が水没した。ロシア西部ヤロスラブリ州のルイビンスク地区モロガの前史だ。水力発電発展のため巨大な貯水池が姿を現わし、人々は翻弄(ほんろう)された。モロガの街は70年前に消えた。残っているのは、博物館で息を潜めているささやかな回想。そして「国民の幸福」のために町を犠牲にする決定が行われた過去。さらに、それにまつわる声を集める人々や同郷人会だけだ。 

旧モロガ地区

 現在、モロガの残像はルイビンスク人造湖の底に眠り、ごくたまに7年おきくらいに湖が浅くなるときにだけ、かつて存在した世界の残像をのぞかせる。

 スターリン時代の1935年、ソ連はルイビンスク水力発電所の建設を決定した。

 

国策プロジェクト

 成長する工業は大量の電力供給を求めた。国は船舶航行が可能なボルガ川を必要とした。ルイビンスク郊外に大勢の囚人を徴用してダムが建造され、41年4月13日に完成する。

 ボルガ川とシェクスナ川が氾濫すると、両河川の水流は岸からあふれ出る。7度にわたる春の大洪水で4500平方キロの土地が冠水した。

 当時ソ連最大のルイビンスク人造湖はそのようにしてつくられた。人知と技術の勝利といえたが、人造湖は町と共に周辺の200の村をのみ込み、多数の人々の運命を急変させた。

 あれから70年以上たった今も、ルイビンスク発電所建設をめぐる議論は続いており、見解は分かれている。

 モロガ地方博物館の若き館員、アナトリー・クロポフさんは語る。

 「多くの人は今も自分たちの故郷が失われたことを悲しみ、ルイビンスク人造湖には自分たちの人生を支配する他者の力が働いていたとみなしている。別の人は愛国主義的な目的のためにもたらされた莫大(ばくだい)な犠牲に思いを寄せている」

 

独ソ戦時の記憶

 この水力発電所は大祖国戦争(41~45年)の際にモスクワの多くの工場に電力を供給して国を支え、今も国民の役に立っている。

 館員が言うように、自己犠牲、団結精神、愛国主義の象徴なのかもしれない。

 しかし、モロガの消滅は人々の心に暗い影を落としている。建設作業に従事した囚人にとっては命にかかわる災厄であった。

 

気持ちは今も「モロガ住民」

ニコライ・ノボテリノフさん(写真左下)はモロガで生まれ、15年間暮らした。祖先がモロガに移り住んだのは17世紀半ばのことである。

国がルイビンスク貯水池の建設を決定した時、ノボテリノフさんはモロガを去ることを余儀なくされた5000人のうちの1人。自分の家を解体できた住人はそれを船で運び、河岸で再建した。

ノボテリノフさんは妻とともにルイビンスクに引っ越した。築100年以上の家に今でも暮らしている。ルイビンスク貯水池建設プロジェクトを担当したボルガ建設が引っ越しを手伝った。

それでもヤロスラブリ、ロストフ、サハリンなどロシア各地に引っ越した住人の多くをノボテリノフさんは知っている。

 25年生まれのニコライ・ノボテリノフさんはモロガからルイビンスク近郊へ移築された父の家で妻と暮らしている。

 

 少年・青年期は新たな生活を何とか軌道に乗せるための苦しみや進歩のために犠牲を払わねばならないという思いと背中合わせだった。当時を振り返る。

 「父がスターリンをやゆしたかどで極東マガダンの強制収容所(ラーゲリ)へ送られる36年までは、モロガで幸せな少年時代を過ごした。父は41年にラーゲリで帰らぬ人になった。兄は戦線へ送られて行方不明となった」

 「今は何も嘆くことなどない。レニングラード封鎖に耐えて私と一緒になった妻がいて、2人の娘と4人の孫と3人の曽孫に恵まれ、つつがない人生が送れているから」

 21年にモロガから5キロ離れた郊外で生まれたマリヤ・クフシンニコワさんはルイビンスク近くのダーチャ(別荘)で暮らしている。永久に失われたモロガの広い野原を思い出す。

 「疲れ知らずの働き者だった同郷人を忘れることはない」とマリヤさんは言う。湖面のさざ波はノスタルジーの鏡のひび割れのように見えた。