インタビュー:マリア・ロマノワ大公女

さまざまな宗教的文化的伝統を持つ多くの民族が住んでいるロシアでは、統合する生きたシンボルが招請される可能性が大いにあり、それが合法的な世襲君主なのです。=PhotoXPress撮影

さまざまな宗教的文化的伝統を持つ多くの民族が住んでいるロシアでは、統合する生きたシンボルが招請される可能性が大いにあり、それが合法的な世襲君主なのです。=PhotoXPress撮影

マリア・ウラジーミロヴナ・ロマノワ大公女(59)

1953年マドリード生まれ。1992年以来、ロシア帝国皇室のロマノフ家家長とロシア女帝を自称している。皇帝アレクサンドル2世の玄孫に当たる。スペイン在住。

2013年にロマノフ王朝は400周年を迎えます。400周年祝賀の意味をどう考えますか? 

 私にとってロマノフ家400周年は、大動乱の克服とロシア国家再建400年という偉大な全国民的記念日の一部にすぎません。ロマノフ朝は、1603年の領地・教会・ゼムスキー・ソボル(全国会議)によって、全国民的に統治に招請されました。この決定が解放闘争の結果を確定しました。しかし勝利は、ロシア全階層の代表の献身的な努力と功績のおかげで達成されたものです。だから私たちはまず、祈りと慈善と啓蒙活動でこの日を記念しなければならないと思います。

 

―あなたはマドリードで生まれ、オクスフォードで学び、人生の大半をスペインで過ごしました。さらにインタビューで幾度も、私の祖国はロシアだとおっしゃっています。帰国の妨げになっているのは何でしょう? 

 もし私が一私人であれば、いつでも帰国できるでしょう。しかし私は、私が家長である、歴史的機関としてのロシア帝室の保存を守らねばなりません。すべての文明国で王朝の長は、国家が彼らの法的地位を確定したとき、最終的に帰国しました。フランス、イタリア、ポルトガル、ブルガリア、ルーマニア、ハンガリー、セルビア、モンテネグロ、アルバニア、アフガニスタンほかの国々で、かつて王家は追放されましたが、その後に帰国しました。それらの例は、王として君臨しない王朝の法的地位が、共和制国家で可能であり、各国の憲法や法制度とも矛盾しないことを示しています。

 私には政治的要求は何ひとつなく、財産の返還は何も求めておらず、いかなる特権や特典も期待してはいません。しかし私には、現ロシアの現代生活への王朝の再統合のプロセスが、西欧の他の国々に劣らぬ形で完了すること、そして歴史的、文化的遺産としてのロシア帝室を擁護する法令の採択を期待する権利があります。遅かれ早かれ法的問題がすべて解決し、私たちが永久帰国するであろうことを、私は疑いません。

 

―あなたはロシアの指導部と幾度も会いましたが、その会見は非公式の性質のものでした。近くロシア大統領との公式会見の可能性は? 

 すべて大統領次第です。この問題はきわめて複雑で、内政、外交のさまざまな面に関わるものだと理解しています。適切な時期を選ばねばなりません。

 しかし私は、そんな謁見が相互尊重のシンボルになると確信しています。もし会見の結果、現代の国家と、偉大な過去との絆を保つ歴史的機関とが、相互関係を発展させていくために歩み出すことができるなら、国とそのイメージにとって大きな利益になり得ます。

 

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―あなたはロシアの君主制復活を信じていますか? 

 君主制の理念には高揚期と衰退期があるでしょうが、この理念は常に存在し続けるでしょう。わずか100年前、共和制は君主制よりもめずらしい現象でした。19世紀と20世紀は革命の時代になりました。しかし恐ろしい変動、戦争、社会的経済的苦難を経て、多くのものが破壊されたが、その復興はまだ手遅れではないと、私たちは結論づけることができます。

 君主制に反対する何千もの論拠を示し、君主制の多くの欠陥を指摘することもできるでしょう。しかし共和制が私たちをそうした欠陥から救ったでしょうか。世界における共和制の普及は、戦争や自国民へのテロや強大な社会経済危機から人類を救いはしなかったのです。さまざまな宗教的文化的伝統を持つ多くの民族が住んでいるロシアでは、統合する生きたシンボルが招請される可能性が大いにあり、それが合法的な世襲君主なのです。

 

1946年に退位したブルガリア国王シメオン2世の首相選出をどう思いますか? あなたなら、国の政治により積極的に参加したいと思うでしょう? 

 私は国王シメオン2世を愛し、尊敬しています。彼がいかに自国に有益であろうと努めているかを知っていますが、自分の名前を使った政治ブロック(シメオン2世国民運動)の一時的勝利のあと、首相就任に同意したのは誤りだと思います。君主や王朝の長は、無条件で政治闘争の外にいなければなりません。彼の義務は全国民の統合です。もしかしたらあの時は、シメオン国王には別の選択肢はなかったかもしれません。別の決定をすれば、彼の仲間たちは、それを降伏や裏切りと受け取ったかもしれません。いずれにせよ、彼はもっぱらブルガリアの幸福のために、あの道を進んだのだと信じています。しかし残念なことに、その結果は、彼の予想どおりにはなりませんでした。

 私も私の息子も、党派闘争には決して加わりません。これは私たちの原則的な立場です。私たちは完全に政治に無関心です。もしロシア国民が君主制の復活を望むなら、私たちや、私たちの正当な後継者らは、私たちの義務を果たすでしょう。しかし、もしそんなことが生じたとしても、合法的君主は、いかなることがあっても、どこかの党のリーダーとしてではなく、すべての同胞に同程度に近しく、すべての党や集団の意見を聴く能力をもってはいるが、どのひとつにも属さない歴史的王朝の長として復活した王座に戻るのです。

 

―あなたは多くのインタビューで、ロシアにあるロマノフ朝の財産を請求しないと述べています。原則として返還は不要だとお考えですか? 

 私は原則的に返還には反対で、自分のために何一つ要求も依頼もしておらず、誰にもそれを勧めてはいません。将来、私たちが、お決まりの「すべてを手にして分け与える」という誘惑を免れることを願っています。財産を奪われた人たち、当時それを享受した人たちは、ずっと前からこの世にはいません。双方にとっての辛く恐ろしい事件の当事者の子孫は、復讐主義を放棄せねばなりません。

 唯一の例外は、正教の修道院と寺院、またその他の宗教の寺院です。それらは本来、神様への祈りのために建てられたものなので、それを別の目的に使用するのは、信者にとって冒涜であり、侮辱です。大体において聖なるものは戻ってきましたが、いろいろな問題はまだ残されています。それはきっと、法と正義にもとづいて解決されることでしょう。