ガガーリンは本当に世界初の宇宙飛行士だったのか

テック
ニコライ・シェフチェンコ
 人間が宇宙へ行って60年近く経った今でも、ユーリー・ガガーリンの宇宙飛行より前に何件もの死亡事故があったという噂が絶えない。ガガーリン以前にも宇宙飛行士が宇宙へ送られ、ソ連指導部が彼らの不幸をもみ消していたとしたら?

 1959年12月14日、米国アラバマ州のガズデン・タイムズ紙が、「オーベルトが宇宙飛行士の死亡を確信」という見出しでAP通信のルポルタージュを掲載した。記事によれば、ロケット開発と宇宙飛行学のパイオニアの一人、ドイツ人学者のヘルマン・オーベルトが、米国の情報機関と他の情報源からの報告を基に、ソ連が宇宙へ人を送る試みを何度か実行し、いずれも失敗に終わったと確信している、とのことだった。

 記事には、「ロシア人はイラン国境に近いエルブルス山付近のミサイル基地を有人宇宙ロケットの発射場として利用している。ロシア人は2年にわたって有人ロケットの実験を行ってきたが、まだ第一線の試験パイロットを宇宙船に乗せていない」という権威ある学者の発言が引用されている。

 記事が出たのは1959年だ。2年後、ソ連は全世界に向けて宇宙に初めて人間が到達したと発表した。だが、ユーリー・ガガーリンを乗せたボストーク1号よりも前に悲劇的な事故があったという噂は絶えず、今なお陰謀説が囁かれている。

隠蔽された孤独な死

 一般に認められた人類初の宇宙飛行の前に、ソ連宇宙計画に関連して実際に死亡事故が起こっていた。事故で最初に死亡したのは、ソ連宇宙飛行士部隊のメンバー、ワレンチン・ボンダレンコだ。

 最初期の宇宙飛行士候補らが受けることになっていた試験の一つが、照明の暗い防音隔離室での長期滞在だった。ここでソ連の宇宙競争の先導者らは宇宙飛行の際に宇宙飛行士らが経験する孤独を再現し、孤独と完全な静寂が人体に及ぼす影響を調べていた。

 簡単に言えば、ボンダレンコは気圧を下げられて酸素濃度を40パーセント(地球の大気中の酸素濃度の2倍)にまで上げられた隔離室に閉じ込められた。この条件が被験者の過ちを悲劇に変えてしまった。

 恒例の身体検査の後、ボンダレンコは身体に取り付けられたセンサーを外し、その部位をアルコールで拭い、アルコールを含んだ綿のタンポンを捨てた。残念ながら、単純な不注意で綿が過熱した電子機器盤に当たり、火花を散らしたのだった。酸素の濃度が高かったため隔離室の内部で火はたちまち広がり、ボンダレンコの服にも引火した。 

 気圧の低下が原因で扉を開くことができず、ボンダレンコをすぐに助けることができなかった。ボンダレンコは身体に火傷を負って病院に搬送されたが、命を救うことはできなかった。彼はガガーリンが宇宙へ行く19日前に死亡した。

飛行後中国の捕虜に 

 ユーリー・ガガーリンの歴史的な宇宙飛行の2日前、米国のザ・デイリー・ワーカー紙のモスクワ特派員、デニス・オグデンがセンセーショナルな記事を書いた。 

 記者の話では、ソ連の伝説的な航空機設計者セルゲイ・イリューシンの息子ウラジーミル・イリューシンが初の宇宙飛行を成し遂げたが、想定外の事態が起こり、飛行を中断して地上に戻らざるを得なかったというのだ。イリューシンはソ連ではなく中国の領土に不時着したという噂が流れた。彼はソ連の宇宙計画の秘密を明かそうとしていた中国軍の捕虜となったということだった。

 しかも、記者によれば、初の宇宙飛行士は着陸に失敗して身体的・精神的に重い障害を負ったが、ソ連政府はこれを交通事故とすり替えて悲劇を隠蔽しようとしたのだという。

 「初の宇宙飛行士」の緊急着陸の噂は、かの国で1999年に映画『宇宙飛行士隠蔽』(“The Cosmonaut Cover-Up”)が公開されたことで再燃した。この映画では、人類初の宇宙飛行は悲劇に終わったという陰謀説が検証されていた。

 しかし、2020年まで、この陰謀説の支持者らはイリューシンの息子が宇宙飛行を試みて失敗したという証拠を何ら提示できていない。当の試験パイロットは、ソビエト軍で少将にまで上り詰め、2010年にモスクワで死去している。

 他にも事故死した「初の宇宙飛行士」がいるという噂は、声を大にして叫ばれることもなく、異論も多い。しかし、最初の宇宙飛行士部隊の公文書を管理しているラリーサ・ウスペンスカヤ氏によれば、「宇宙飛行士第0号と呼ぶことができるのは、イワン・イワーノヴィチのマネキンくらいだ」という

 1961年3月21日、冗談半分でイワン・イワーノヴィチ(典型的なロシア人の名前)と名付けられたマネキンと、犬のズヴョズドチカ(「小さな星」の意)が初の宇宙飛行を成し遂げ、ユーリー・ガガーリンの歴史的な任務の成功に道を開いた。

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