第二次大戦中のソ連の残念な戦車

T-35、赤の広場の軍事パレード中。

T-35、赤の広場の軍事パレード中。

MAMM/MDF/russiainphoto.ru
 これらの戦車は、1930年代ならまだ活躍できたものもあったが、ナチスが侵攻してきた頃には旧式になっていた。また、開発当初からまずいものもあった。

1. T-26 

T-26、クイビシェフ(現在のサマーラ)の軍事パレード、1941年11月7日

 1941年6月、侵攻してくるドイツ軍を1万両のT-26軽戦車が迎え撃った。しかし、1930年代にはソ連の主力戦車だったT-26も、バルバロッサ作戦が始まった時点では完全に旧式となっていた。

 45mm砲を搭載したT-26は、ドイツ軍のI号戦車、II号戦車、38(t)戦車に対しては効果的だったが、より新式の戦車や敵のほぼすべての対戦車砲に対して完全に無力だった。

 開戦後数ヶ月で、戦闘中の被弾や故障によって何千両ものT-26が失われた。大半の戦車に大修理が必要だったが、そんな時間はなかった。 

 ソ連は損傷を受けたT-26を修復するよりも、新型のT-60やT-70に置き換えることを選んだ。またT-26は、冬戦争(フィンランド・ソビエト戦争)などのより「穏やかな」前線にも配備された。さらに、1941年8月に英ソが共同でイランに侵攻した際には、千両以上のT-26が投入された。 

 T-26は、ソ連の日本への攻撃も含め、第二次世界大戦の終盤まで戦った。だが、この戦車が参加した最後の大規模な攻撃と言えば、1943年初めにスターリングラードでドイツの第6軍を追い詰めた「鉄環作戦」だ。

 

2. T-60 

T-60、ブリャンスク戦線

 旧式となったT-26とは違い、T-60はドイツ軍の侵攻が始まった時点で最新の戦車だった。1941年8月に開発され、翌月までに量産が始まっていた。 

 だが、新しければ良いというものでもない。T-60は戦争の行方を変えるキープレイヤーたり得なかった。この戦車の20mm機関砲「ShVAK」はドイツ軍の装甲車両にとって大した脅威とはならず、薄い装甲はドイツ軍最弱の戦車砲や対戦車砲の砲弾でも容易に貫通した。 

 可燃性のガソリンエンジンのため、T-60はしばしば蝋燭のように炎上した。戦車兵らはこの戦車に「二人用共同墓」というあだ名を付けたほどだった。

 スターリングラードの戦いでは、ShVAK機関砲は数発撃つと空気中の塵が原因で頻繁にジャムを起こした。その場合T-60は機関銃のみで戦わねばならず、そうすると第一次世界大戦初期の戦車と同レベルになってしまうのだった。

 1942年後半以降、T-60は主にT-34やKV戦車の弾薬補給車として用いられた。

 

3. Т-35 

Т-35

 世界唯一の量産型5砲塔戦車、T-35は、1930年代にはソ連最強の戦車だった。しばしば「地上の戦艦」とまで呼ばれた。

 76.2mm砲一門と45mm砲3門、複数の機関銃を搭載したこの戦車は、敵に地獄を見せることができた。しかし、この強力な武装はT-35のアキレス腱でもあった。戦車長は5つの砲塔すべてからの砲撃を効果的に統制できなかったのだ。

 一時は万能だったT-35も、1940年代初めには完全に旧式となっていた。重さ58トン、非舗装路での最高速度は時速14キロメートルというのろまな怪物は、装甲板の厚さが20ミリメートルしかなく、敵の最新の対戦車砲にとっては格好の餌食だった。

 とはいえ、第三帝国との戦争が始まった際には、49両のT-35が現役だった。その大半はウクライナ西部の戦闘で失われたが、数両はモスクワの戦いにも参加した。ちなみに、T-35はドイツ軍側で最後の戦闘に臨んだ。ドイツ軍は、鹵獲したT-35を1945年のベルリンの戦いで使用したのだ。戦車は被弾して大破した。

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