無重力をものともしない真面目な人々は「習慣」が迷信になることを認めようとはしない。また彼らは「13」を不吉な数字だとは考えていない。しかし宇宙飛行の前、飛行中、そして飛行の後に行われるようになった儀式を他になんと名付ければ良いのか。宇宙に魅せられた人々はこれに対してただ「すべては成功のため」だと厳しい顔つきで言う。
では成功のために、何をすれば良いのか見てみよう。
2014年9月17日。Soyuz TMA-14Mのクルー、ロスコスモスの宇宙飛行士アレクサンドル・サモクチャエフ(中央)、エレナ・セロワとNASAの宇宙飛行士、バリー・ウィルモアがバイコヌール宇宙基地で木を植える。
ロマン・ソコロフ撮影/Sputnik 打ち上げが暖かい時期に行われる場合、宇宙飛行士たちは出発前に木を植える。バイコヌールにあるホテル「コスモナフト(宇宙飛行士の意)」の庭にはロシアや外国の乗組員が植えた木の並木道ができている。女性で初めて宇宙飛行を行なったワレンチーナ・テレシコワはあるインタビューで、とりわけガガーリンが植樹した木には特別な大切に扱われていると述べている。
つい1年前に宇宙から帰還したロシアの英雄で宇宙飛行士のアレクサンドル・ミスルキンは、ロシア・ビヨンドからの取材に対し、飛行前に植樹をする、またはすでに植えられた木に水をやるのはとても良い気分がしたと話している。
ユーリイ・ガガーリンの家のインテリア。バイコヌール博物館の展示物の一部。
アレクセイ・クデンコ撮影/Sputnik 「飛行士たちは2回目の宇宙服の試着の後に必ず博物館に来るんです。出発の4–5日前ですね」。バイコヌール博物館のアントニーナ・ボグダノワ館長は、タス通信からのインタビューに対し、こう話している。
この習慣ができたのは1983年のこと。以来、宇宙飛行士は必ずソ連の宇宙船「ブラン」を見学し、ユーリー・ガガーリンが宇宙飛行の前に宿泊していた家とロケット設計士セルゲイ・コロリョフの執務室を訪れる。
『砂漠の白い太陽』のシーン。
Vladimir Motyl/Lenfilm,1970 ムスルキン宇宙飛行士は言う。「打ち上げの前には、『砂漠の白い太陽』を大いに楽しみます」。
飛行前に最初にこの映画を観たのは、1973年にソユーズ12の乗組員だったワシリー・ラザレフとオレグ・マカロフだと言われている。無事に地球に帰還したあと、彼らは宇宙飛行の間ずっと第3の乗組員スホフ(映画の主人公)がいて、苦しいときには元気づけてくれたと冗談めかして話した。それ以来、この映画は成功をもたらしてくれるものと考えられている。
ロシアの英雄で5度宇宙飛行を行なった宇宙飛行士のフョードル・ユルチヒンは、ロシア・ビヨンドからの取材に対し、映画鑑賞の実益についても指摘している。「この映画で飛行士たちは撮影の技術を学びました。以前はビデオカメラなどなく、映画撮影用のカメラとテープしかありませんでした。飛行中にそれを再生し、画質をチェックするのは不可能でした。つまりその場で正しくライトを配置し、被写体を選び、焦点を定めなければならなかったのです。編集の仕方、引きと寄りの使い方、表情の撮り方などもこの映画から学ぶことができたのです」。
ベテラン飛行士たちは若手飛行士たちに言う。「この映画を10回観ないうちは、宇宙飛行には役立たないよ」と。
『砂漠の白い太陽』のシーン。
Vladimir Motyl/Lenfilm,1970ユルチヒン飛行士はもうひとつ面白いエピソードを披露している。それは映画に関して、一種の試験のようなものを受けたというもので、映画の内容に関する質問に答えたり、セリフを正しく言ったりしなければならなかったのだという。たとえば、ヴェレシャーギンがイクラが入った大きなボウルを嫌そうに眺めながら、パンが欲しいと言うシーンがあるのだが、それに関する質問は「ヴェレシャーギンが食べられなかったイクラはどんなイクラ?」というもの。答えは「キャビア」では不正解。映画での正確な表現は「食べられない。忌わしい」だからである。あるいは「スホフの価値はどのくらい?」という問いには、「スホフ、君は小隊ひとつ分の価値がある」と言うセリフを思い出さなければならないのだそうだ。そのほかには「スホフのシャツについているボタンの数は?」や「アブドゥラが持っていたのはどんなピストル?」などの質問があったという。
宇宙飛行士が宇宙船に向かうときには「家のそばの草」という歌で見送る。2009年、ロスコスモスはこの歌をロシア航空宇宙学の賛歌と定めた。
「家のそばの草」は、イルミネーターを通して遠く離れた地球を眺めながら、夢の中では宇宙や射場の爆音ではなく、家のそばの緑の草を夢見ている宇宙飛行士を歌ったもので、すべての飛行士たちに愛される一曲だ。
ユルチヒン氏はインタビューの中で、これについて「この歌にはいろんなバージョンがありますが、わたしはいつもイーゴリ・ロマノフが歌っているものをお願いしています。この歌はゼムリャーネというバンドが歌うようになってまったく違うものになったのです」と話している。
そう、文字通り、一撃してもらうのである。宇宙服を着て、ロケットへと向かう階段を上る宇宙飛行士には通常3人が付き添う。主任設計者、技術チームの責任者、そしてロスコスモス長官である。そしてこのうちの1人が必ず軽く膝蹴りすることになっている。しかしはっきりした一撃は打ち上げを成功させるためである。
これはユーリー・ガガーリンが最初に始めた一種の儀式だと言われている。宇宙服をしっかり留められてしまう前に、今一度、万全を期すためにした行動。次にトイレに行けるのは数時間後だからである。
宇宙飛行士は文化的な人物であり、この習慣についてはコメントは差し控えられてきた。これについてはマクシム・スラエフ飛行士が、あるインタビューで、打ち上げロケットに向かう途中で「儀式として一時停止する」と指摘するにとどまっている。
国際宇宙ステーションへの第53、54次長期滞在のクルーのメンバー、ロスコスモスの宇宙飛行士、アレクサンドル・ミスルキン。ソユーズMS-06を載せたソユーズ-FGローンチ・ヴィークルが発射される前。
アレクセイ・フィリポフ撮影/Sputnik アレクサンドル・ミスルキン飛行士は、もっとも重要な習慣は、代替要員たちが正規クルーのためにロケットを白く塗るというものだと冗談を言う。「初めてバイコヌールを訪れたとき、わたしたちはロケットが2日前に発射台に乗せられたときは緑かグレーだったのに、それが発射を前にして白くなっていることに気がついた。なぜかと訊かれた。そしてそれは代替要員たちが正規クルーのためにロケットを白く塗ったのだと」。
しかしミスルキン氏曰く、実際にはよりもっともな物理的な理由がある。ロケットには冷却した燃料と酸化剤が送り込まれるため、ロケットの表面が薄い氷で覆われ、それが白く見えるのだという。
フョードル・ユルチヒン氏は自分だけの習慣について話してくれた。それは宇宙船にぬいぐるみの犬を連れて行くというもの。ユルチヒン飛行士は言う。「これはお守りや魔除けではありません」。しかしこの犬は飛行中、もっとも精力的に活動に参加した。ぬいぐるみは無重力の表示器として活躍したのである。ぬいぐるみは結びつけられ、無重力状態になったかどうか確認するために役立ったのである。
ユルチヒン飛行士は「この小さなぬいぐるみはこれまでの5回の飛行すべてに同行しただけでなく、エルブルスにも一緒に登頂したんです」と打ち明けている。
2017年9月22日。第53次長期滞在のクルーたちがISSの実験用モジュール「デスティニー」で集合写真を撮るために集まる。左から右:ジョセフ・アカバ、パオロ・ネスポリ、マーク・ヴァンデ=ヘイ、ランドルフ・ブレスニク、セルゲイ・リャザンスキー、アレクサンドル・ミスルキン撮影。
NASA Johnson/Flickr 宇宙ステーションで過ごす何ヶ月もの間に、飛行士たちはたびたびホームシックに陥る。そこでクルーたちが一緒に時間を過ごすことは、たとえそれが国際的なチームであっても、非常に重要なことである。ミスルキン飛行士は「これを伝統と言えるかはわかりませんが、1週間に1度か2度は必ずしっかりした食事を皆で一緒にとり、映画を鑑賞します」と話す。
ロシア国営宇宙開発企業「ロスコスモス」のドミトリー・ロゴジン社長とISS第56、57次長期滞在のクルー。NASAのセリーナ・オナン・チャンセラー(米国)、ロスコスモスのセルゲイ・プロコピエフ(ロシア)、ESAのアレクサンドル・ゲルスト(ドイツ)。ソユーズMS-09を載せたソユーズ-FGローンチ・ヴィークルがバイコヌール宇宙基地のガガーリンスキー第一発射台から発射される前。
セルゲイ・マモントフ撮影/Sputnikこれは航空宇宙学に関係するものではないが、この日は宇宙船発射基地にとって不吉な日とされている。と言うのも、同じ日に2度事故があったからである。1960年には大陸間弾道ミサイルR–16が爆発、また1963年にはミサイルR–9Aで火災が発生し、数十人が死亡した。以来、この日は発射基地は活動を行わず、打ち上げも行われていない。
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