第5世代軽戦闘機の険しい道のり

ウラジミル・アスタプコヴィッチ/ロシア通信撮影

ウラジミル・アスタプコヴィッチ/ロシア通信撮影

決して良好とは言えない現状においても、伝説的なソ連の戦闘機ミグのメーカーであるロシア航空機製造会社(RSK)「MiG」は、第5世代軽戦闘機の製作を続けている。セルゲイ・コロトコフ最高経営責任者(CEO)が、パリ航空ショーでこれを明らかにした。同時に、この戦闘機への注文はないことも認めた。さて、何を頼りに製作を行っているのだろうか。

 同社は、自社の実績、ブランドの認知度、またコロトコフCEOによると、「このような戦闘機の市場は全世界でとても大きい」ことを頼りに製作を行っている。ミグ社は国内の主な競合企業である「スホーイ」が1990年代にたどった道と同じ道を進むことを決めた。その道とは、海外市場に方向転換し、自社の新たな開発品のために外国から融資をつのるというものである。スホーイ社はソ連がもたらした発展期にこの道を進んだが、MiG社は国家発注のない状態でこの道に立たなければならない。 

 

スホーイの勝利

 国は2000年以降、スホーイ設計局の開発を優先するようになった。スホーイは外国からの注文のおかげで、困難な時代を生き抜き、自社の有効性を証明したためだ。その際、ミグ設計局第5世代戦闘機のプロジェクトは中断され、スホーイS-37のプロジェクトが優先された。ミグ1.42(第5世代戦闘機ミグ1.44の最初のプロトタイプまたは多機能前線戦闘機)の初飛行は1999年に行われていたのだが。

 その結果、ミグ設計局の戦闘機の準備はかなり進んでいたにもかかわらず、国はスホーイのプロジェクトへの資金提供を優先した。S-37は実験機のまま終わるとわかった時でさえ、ミグのプロジェクトに目は向けられず、ゼロからのパクファ(PAK FA)開発が好まれた。この開発が始まったのは2002年のことで、初飛行は2010年にようやく実現している。

 ミグ1.44の作業が始まったのは1980年代初めで、ソ連崩壊の時期までには、第5世代戦闘機に属し得るすべての可能性を持った戦闘機の予備設計と模型の準備が完了していた。1990年代、資金調達のない状態のもとでも、ミグ・チームは最初の飛行サンプルまでプロジェクトを進めた。しかし、この努力の結果すべてが、国に必要とされなかった。

 

投資を探して

 ミグ社がその後、2006年に創業した「統一航空機製造会社」の傘下に収まったことで、さらにその独立性とプロジェクトの推進の見通しが低下した。有名なソ連ミグの設計者の息子で、航空機設計者、現在ミヤコン設計局工学センターの所長顧問を務めるオヴァネス・ミヤコン氏によると、第5世代戦闘機のプロジェクトは普通につぶされたのだという。ロシアで生まれた航空産業システムで「生き残れるのは資金力と影響力のある人」だと話す。ソ連とロシアではミグとスホーイが異なる戦闘機(軽戦闘機、重戦闘機)としてつくられていたが、「金銭的利益がぶつかり始めた」ことで競争が始まったと、ミヤコン氏は説明する。国家の資金をめぐる争いでミグが負けたのだ。

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 現在、ミグ社はほとんど受注のない状態。最近の大型契約としてはロシア海軍とインド海軍向けにミグ29Kを納入する契約があるが、これも終わろうとしている。インドに軽戦闘機を納入する入札では、ミグはフランスのラファールに負けた。ミグ社が提案した無人機製作プロジェクトは国からの資金援助を受けることができず、第5世代戦闘機製作のための発注パートナーを含む、注文のポートフォリオを充実させる可能性を模索しなくてはいけなくなっている。これを完成品なしで行うことは容易ではないため、同社は今、少なくとも飛行プロトタイプや技術のデモ品を製作しなければならない。

 だが統一航空機製造会社は、第5世代軽戦闘機が自社の優先事項ではないと表明している。おまけに、国にとってパクファ・プロジェクトでさえも重い財政負担であり、予定購入数はどんどん減っている。そのため、コロトコフCEOが、「世界に多数ある」ミグ29の代替の必要性に触れたのである。しかしながら、ロシアの第5世代軽戦闘機が海外市場に進出するかは、今のところ不明である。

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