AK-47の発明者ミハイル・カラシニコフ逝く

ミハイル・カラシニコフ=タス通信撮影

ミハイル・カラシニコフ=タス通信撮影

12月23日、ミハイル・カラシニコフが死去した。94歳だった。彼は、AKと略して呼ばれる、世界的に有名なカラシニコフ自動小銃の設計者だ。

 12月23日、ロシアの武器製造の一大拠点であるイジェフスク市から訃報が届いた。長期間の闘病の末、ミハイル・カラシニコフが死去。彼は、専門家が史上最高と評する、伝説的な自動小銃の設計・製造で、自身のみならず国家に栄誉をもたらした人物だ。

 カラシニコフは、胃の出血で入院し、11月17日から、イジェフスク市医療予防センターで集中治療を受けていた。ここ5週間ほど、容態の好転が伝えられていたが、この数日は、気がかりな知らせが入ってきていた。12月23日、ソ連時代の伝説となった人物の心臓は停止した。

 

発明好きの少年が伝説になるまで 

 カラシニコフは、ごく普通の農家の生まれで、子供の頃から色んな機会や仕掛けが好きだった。18歳で赤軍に応召したが、戦車の大砲を改善する発明の才と閃きを見せ、多くの人々を驚かせた。

 独ソ戦開始直後の1941年8月に前線に赴き、2ヵ月後に重傷を負って入院した。そこで、暇な時間の大半を、自動小銃の原案と設計図を書いて過ごした。これが、将来彼の名を不朽にするAKの原型となる。

 カラシニコフ氏が提案した技術上のアイデアは、当時の主だった兵器設計者たちに看過されることはなかった。彼は、赤軍砲兵総局に招かれ、そこで後に設計局を率いることになる。

 名高いAKの設計は1947年だ。以来、世界中で、そのあらゆる改造型を含め、実に7千万丁以上が製造された。今日、AKは100カ国以上の軍、治安機関に採用されており、20世紀の主要な発明品の一つに数えられている。

 カラシニコフは、その生涯を通じて、何十という褒賞を国から授与され、ロシア国内のみならず世界で真に伝説的な存在となった。

 

殺すのは兵器ではなく人間だ 

 「カラシニコフはロシアの宝であり、エンジニアとして、千年に一度現れるかどうかという天才だ。傑出した兵器設計者の多くを凌駕している」。こう言うのは、「国防」誌のイーゴリ・コロトチェンコ編集長だ。

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 同氏によると、カラシニコフは、この自動小銃の無制限の拡散を禁止すべきだと考えており、専ら政府の機関を通じて供給すべきだとして、積極的に発言していたという。「彼はいつも、殺すのは兵器ではなく人間だ、と言っていた」とコロトチェンコ氏は述懐する。

 軍事評論家ドミトリー・リトフキン氏によれば、カラシニコフは生ける伝説であり、ロシアが世界最高の銃を生産し得るという「象徴」だと言う。リトフキン氏は、カラシノコフの発明品のユニークさに注意を促し、軍事史における彼の役割を称揚した。

 「カラシニコフは、理想的で極めて効果的な自動小銃を創り出した。それは第一に、生産が容易で、第二にコストが安く、第三に、あまり訓練しなくても使えるということだ」。こうリトフキン氏は指摘する。

 「この武器は、多くの使用者を見出し、大量生産された。水中に落としても、泥まみれにしても、長い間掃除しなくても、撃つことができる。イラクとアフガニスタンの米軍兵士でさえ、そのような必要と可能性があれば、いつでもAKを使った。実際、М-16より効果的だからだ」

 

製造が容易で、堅牢で、操作は簡単 

 リトフキン氏によると、カラシニコフは、祖国防衛に役立てるため、兵器の製造に携わり、最高の自動小銃を生み出した。1940年代半ばには、ソ連軍は主にモシン・ライフルを使っていたのに、ドイツ国防軍には自動小銃があったため、ドイツ陸軍は火力で赤軍を上回っていた。

 「戦闘での損害を減らすには、決め手になる武器が必要だった。それで、カラシニコフは、いくつかのタイプの構造の自動小銃を創ってみた。結局、彼は、速く生産できて、比較的コストが安く、火力で敵の優位に立てるような自動小銃を設計することができた」。リトフキン氏はこう歴史を振り返る。

  一方、コロトチェンコ氏は、AKが、砂漠だろうが、極圏近くであろうが、どんな条件下でも作動する点を指摘する。「西側の武器は一つとして、こんな能力を備えているものはない」。同氏によると、今日ではAKは、レーザー照準器や夜間照準器を装備するなど、様々な使い方ができる。

 現在、ロシアでは、AK12(AKの最新モデル)の最新型の試験が行われている。その結果次第で、軍に採用されるか否かが決まる。