ツィオルコフスキーの5つのアイデア

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この9月に理論宇宙工学の創始者コンスタンチン・ツィオルコフスキーの生誕156周年を迎えた。彼は少年時代に猩紅熱にかかり、ほとんど聴覚を失い、学校や大学で勉強する可能性を失った。だが独学で身につけた教養は、柔軟な頭脳、独創的な思考と相まって、当時は何か空想の域さえ超えていると思われたアイデアに彼を導いた。

 宇宙時代の到来を先取りした、もっとも興味深い彼の5つのアイデアをご紹介しよう。そのいくつかはすでに現実になったが、今なお時代の方が届かずにいるアイデアもある。

折りたたみ式気球と、鳥状飛行機 

 ツィオルコフスキーの初期の創案の一つになったのが、飛行船の独自の設計だ。実現こそしなかったが、これにより大学者らが、この独学の若い学者に注目した。創案で独創的だったのは、飛行機の胴に使うべきとされた材料だ。ゴム引き布の代わりに金属を使い、それによって危険な化学反応を回避し、さらに飛行機の形状をその構造にいたるまで変えることができた。彼は計算と実験によって、金属製の飛行機は便利さと安全性に応えるだけでなく、経済的にも有利になるとの結論に達した。

 この方向で実験を続け、ツィオルコフスキーは飛行機の出現を数十年先取りする設計を考案した。彎曲した太い翼をもつ、すべて金属製の単葉機で、彼はこれを「鳥状(航空)飛行機」と命名した。

ジェット飛行 

 だがツィオルコフスキーの名を全世界に知らしめたのは、地上飛行ではなく、宇宙飛行に関するアイデアだった。日記形式で書かれた1883年の著作『自由空間』の中でツィオルコフスキーは、抵抗力と引力から自由になった空間にいる人間を語り手として登場させている。まさしくこの著作で初めて、宇宙空間での唯一の移動手段であるジェット推進についての結論を導き出した。その後の著作『ジェット機器による世界空間の探査』は、きわめて単純な力学法則によってこの結論を基礎づけた。ここでツィオルコフスキーは、ロケットの宇宙飛行能力を証明したのだ。

ロケット列車 

 ツィオルコフスキーが「ロケット列車」という用語で呼んだのは、多段式ロケットの原型、つまり地上を滑走した後、空中を飛行し、宇宙空間に飛び出す組み立て式ロケットのことだ。ロケットの各段は、燃料使用後に切り離し、地上に落下させなければならない。彼の計算だと、各ロケットの長さは30メートル、径は3メートルでなければならなかった。

 こんな「列車」の製作は、人間の宇宙滞在の夢を近づけるだけではなく、惑星間通信の時代を開くはずだと、ツィオルコフスキーは考えた。

宇宙リフト 

 だがツィオルコフスキーにとってロケットは、地球圏の外に出る唯一の手段ではなかった。彼は、宇宙空間に貨物を運ぶのに、ロケットを打ち上げずに済ますことのできる装置を利用するアイデアを最初に提唱した。理論上、その設備は、宇宙機器から惑星表面に向けてのばしたワイヤを利用するはずだった。もしそんな手段の実現に成功すれば、莫大な資金の節約になると同時に、ロケットの打ち上げにつきもののエコロジー損害の問題を解決することができる。

宇宙で暮らす人間 

 ツィオルコフスキーは確信をもって、人間による宇宙開発を支持した。宇宙飛行のアイデアは、彼の未来観では人類向上の理論と密接に結びついている。人類は地球上に一定の調和を達成し、他の惑星を開発し、人間種のより完全な分岐を成しとげていくだろう

 彼は、長期惑星間飛行時の医学生物学的問題に特別な注意をはらった。外的要因から人間を守る特殊作業服――宇宙服の原型――の着用を最初に提案したのが、まさにツィオルコフスキーだった。

 彼はSF小説『地球の外で』において、人工重力のための回転構造物プロジェクトを提案し、宇宙移住のアイデアの根拠を示した。工業や農業の生産拠点をそこに配置し、都市や村落をまるごと発展させることができると考えたのだ。現在、このアイデアは、環状宇宙居住地(わかりやすく言えば「ドーナツ都市」)プロジェクトで実行に移され、とくにスタンフォード大学の学者らによって研究されている。

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