チェルノブイリ原発事故から27年

チェルノブイリ原発4号炉事故から27年目の4月26日、さまざまな場所で追悼が行われた。ロシアの研究者はこの日以降、事故処理や重大な原発事故の予測など、独自の経験を積んできた。ロシアのこの知識がどの程度世界で必要とされているのかなどについて、ロシア科学アカデミー原子力安全研究所のレオニード・ボ リショフ所長に話を聞いた。

-原子力安全研究所にはこれまで、その経験や原発の緊急事態への対処法、重大な事故への備えなどについて、どれほど外国から問い合わせがあったのでしょうか。

 当研究所は設立されて今年で25年になりますが、当初からさまざまな国の機関と経験をわかちあってきました。フランス放射線防護・原子力安全研究所やア メリカ原子力規制委員会などと、長年協力関係を続けています。例えば1990年代に作成されたフランスの国家研究プログラムのひとつである「ベクレル」 は、我々がフランス人と一緒にチェルノブイリの経験すべてを織り交ぜて作成したシナリオにもとづいており、パリ近郊のサクレーにある実験炉では爆発がシミュレーションされました。

フランスの放射線事故対応システムの深刻な問題点が、このプログラムによって見えるようになりました。アメリカ向けには、重大な原発事故に合わせた、特 別なコンピュータ・コードをたくさん作成しました。アメリカ・エネルギー省の事故対策分野の国際協力事務所とも協力し、世界的な事故対策システムを作成し ています。

 

-チェルノブイリの知識は福島で生かせましたか。

 人々は技術的な事故と自然災害のことをすぐに忘れますが、原子力事故は国家と人類の歴史に深い傷を残します。その傷は医学的結果ばかりでなく、社会、経 済、心理、政治などに与える大きな衝撃です。そのため、新たな原発を建設する場合は、事故対策システムを作成しながら、こういった要因についても考えなけ ればいけません。

 日本の状況について話すと、福島第一原発周辺の住民は、事故の放射線もさることながら“放射線恐怖症”で苦しんでいるということがわかってきて います。4月26日には(インタビューはその前に実施)、これらのテーマすべてについて全体報告が行われる、日本の原子力産業フォーラムに出席します。日 本で再編された原子力規制委員会の委員とも会う予定です。委員会は7月、新たな安全基準を導入し、3年以内にそれに基づいて日本国内の全原発を評価しなけ ればいけません。

 

-このような新たな動きによって、日本の原子力エネルギーは復活するとお考えですか。

日本の原子力発電の大部分が再稼働することになるでしょう。今は原子力がなくて困窮していますから。

 

-国家レベルでなくとも、ロシアと日本の原子力安全問題に取り組んでいる研究者の間では、どのように作業が進んでいるのでしょうか。

 ここでは、非常に困難な自然条件のもと、自力で成功することに慣れた、島国の精神構造を考慮に入れなければいけません。科学分野で知識や能力に不足があ ると認めることは、日本人にとって心理的に極めて難しいことなのです。日本は原発事故当初、ロシアだけでなく、世界からの支援を拒み続けました。政府レベ ルで世界の経験に学ぶことを決定した2012年以降、ロシアと当研究所には、次から次へと代表団が訪れています。

 1999年に東海村臨界事故が起きた際、日本大使館の科学責任者は当研究所の緊急センターに来て徹夜で作業していました。我々が素早く事故のその後の予 測を作成したところ、とても感心していました。東海村でそれ以降起こることを正確に予測し、適切なアドバイスを行ったのです。アドバイスの中には、地元政府が準備していた人員避難に対する反対意見もありました。

 チェルノブイリの経験、すなわちロシア全体の研究者の経験は、かけがえのないものなのです。このような教訓は他のどこにもありません。むろん、チェルノ ブイリ原発事故のような事故はこれ以上起こってほしくありませんが、私は現実主義者で、事故を回避することは不可能だということを理解しています。それで も、このような不慮の事故が突然襲うことはもうないとはっきり言えるでしょう。

 

記事全文(ロシア語のみ)