金正男氏
=AP通信クアラルンプール国際空港で金正男氏を暗殺したのは、北朝鮮の工作員の可能性があり、異母弟である金正恩朝鮮労働党委員長が、潜在的なライバルを排除するために最後の指令をだしたと考えられている。金正日氏の長男である金正男氏は長年、金正日氏の後継者だと思われていた。だが日本に密入国しようとしたことが金正日氏の怒りを買い、後継者候補から外され、2003年から海外で流浪生活を送るようになった。
金正男氏の流浪生活は、ソ連に暮らし、2002年にモスクワで死亡した母の成恵琳氏の状況を反映していた。
成恵琳氏は1937年に北朝鮮で生まれ、女優になり、有名になった。金正日氏より4歳年上で、前の結婚でもうけた娘もいたが、未来の総書記は成恵琳氏と恋に落ちる。
2人の結婚は、父で北朝鮮の初代の最高指導者である金日成氏に歓迎されなかった。金日成氏は不満をあらわにし、金正日氏と成恵琳氏に結婚を隠すことを強いた。1971年、2人の間に金正男氏が誕生する。
2人は一緒に暮らし、子供ももうけたが、結局離婚してしまう。
金正日氏と家族=Getty images
金正日氏は1974年、金英淑氏と結婚。成恵琳氏は息子を金正日氏のもとに残し、北朝鮮を脱出した。成恵琳氏はその後の人生をソ連とロシアで過ごした。
韓国メディアは、成恵琳氏が暮らしていたモスクワの住所も突き止めている。具体的にはヴァヴィロフ通り第85棟である。
金正男氏はソ連やヨーロッパで学び、ロシア語もある程度知っていた。北朝鮮に帰国してからは、ずっと後継者と見なされていた。金正日氏からその教育まで受けていたが、2001年、偽造パスポートで日本に入国しようとして逮捕された。
金正日氏は北朝鮮に帰国した金正男氏を後継者候補から外し、他の候補を探し始めた。有力になったのは金正恩氏で、金正男氏は再び出国することとなった。マカオを中心に生活していたが、マレーシアを含む東南アジア諸国にも住居があったという情報もある。
成恵琳氏は1990年代、一連の病気の診断を受け、モスクワの病院で治療を受けていた。そして2002年5月17日、モスクワにて、乳がんで死亡した。
北朝鮮からの要望により、ロシアで最もステータスの高い墓地の一つ、トロエクロフスコエ墓地に成恵琳氏は埋葬された。
成恵琳氏の墓 =オレグ・キリヤノフ
金正男氏は母のことを忘れることはなかったが、どれほどひんぱんにモスクワを訪れていたかを知る人はあまりいない。金正男氏は2005年、北朝鮮の労働者の集団とともに、墓碑を建立するため、モスクワに来ている。
珍しい墓である。どの墓石も西側を向いているが、成恵琳氏の墓石は東側を向いている。墓碑は控えめな朝鮮様式で、低い柵に囲まれている。長方形の黒い墓石と、その前には花台がある。
墓地の職員によれば、埋葬地が選ばれる前に、伝統的な「アジア風の服」を着た人々がここをひんぱんに訪れていたという。在モスクワ北朝鮮大使館の関係者の可能性が高い。近年、訪問者の数は大幅に減少している。
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