プチャーチン提督が言い遺した道

画像:グリゴーリイ・アヴォヤン

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2015年5月21日に東京で開かれる日露フォーラムを前に、モスクワ国立国際関係大学教授で元駐日ロシア大使(在任期間 1996~2003年)のアレクサンドル・パノフ氏は、露日関係の複雑な歴史について次のように語った。

 つい先頃、私たちは、1855年2月7日に日本の下田で締結された露日間の最初の条約の160周年を記念しました。ロシア側からその通好条約に調印したのは、エフィーミイ・ヴァシーリエヴィチ・プチャーチン提督でした。まさにこの出来事が、露日関係の外交史における起点となりました。もちろん、互いを知るようになったのは、それよりずっと以前のことで、19世紀の半ば頃には、ロシア人も、日本人も、互いに関する一定の知識を備えていました。ロシアは、正式な関係を樹立すべく何度か使節団を遣わしましたが、成果は、得られませんでした。日本は、17世紀の初めから二世紀半に亘り、外国人に対して完全に閉ざされていました。そして、19世紀の半ばになってようやく、まず、アメリカが、つづいて、ロシア、フランス、イギリス、その他の大国が、そうした鎖国状態を克服できたのでした。

 独特でしかも基本的にはかなり素朴な露日関係発展の歩みは、そこに端を発しています。両国家は、地理的にひじょうに近く、プチャーチン提督が言い遺した平和的な方式で協力しうる、と思われました。けれども、二十世紀には、周知のとおり、両国関係に暗い影を落とした幾つかの武力衝突が見られました。その傷痕は、露日双方の社会の意識のなかに今も残っています。ロシアでは、110年前の日露戦争における屈辱的な敗北についても、ロシア革命後の内戦に際しての極東およびシベリアへの干渉についても、1938~1939年のハサン湖およびハルハ河での戦い(ノモンハン事件)についても、そして、満州における日本の関東軍の降伏ならびに1945年8月のソ連の対日参戦についても、未だに記憶されています。第二次世界大戦の末にほぼ60万人の日本の将兵がソ連の捕虜となり、そのうち約6万人が命を落とし、生き残った人々の帰国のためにも多大な努力が必要でしたが、これらの出来事は、現代の日本人の歴史的記憶に暗い影を落としました。  

 けれども、そうした好ましくない歴史的背景が、両国関係のすべての面を覆い尽くしているわけではなく、いつの時代にも、かなり好い面がありました。日本では、たとえば、1960年代にソ連のポリオワクチンが多くの日本の子供たちを救ったことが今も語り伝えられています。このテーマは、のちに、名優の栗原小巻さんが出演したアレクサンドル・ミッタ監督の映画『未来への伝言』(1988年)で描かれました。ロシアの船員たちが遭難した日本の船乗りたちを救い、日本の人たちがロシアの船員たちを助けたことも、思い起こすべきでしょう。

 

悪くもなく好くもない露日関係 

 露日関係は、直線的で単調で白黒のプロセスというわけではけっしてなく、いつの時代も、さまざまな色合いに溢れていました。けれども、残念ながら、両国家および両国民の間の密接で恒常的で信頼に基づく関係というものは、文化交流がさかんに行われているにもかかわらず、生じませんでした。日本では今も、レフ・トルストイ、ツルゲーネフ、ドストエフスキー、チェーホフといった19世紀のロシア古典文学がよく読まれており、ロシアのバレエや音楽が大きな人気を博しています。ちなみに、1928年には、歌舞伎がソ連で真のセンセーションを巻き起こし、スタニスラフスキーも、それを高く評価しました。今日も、日本ではロシア文化フェスティバルが毎年開催されており、今年の5月、東京で、恒例の露日フォーラムの前に、セルゲイ・ナルイシキン国家会議(連邦議会下院)議長の出席のもと、今年の日本におけるロシア文化フェスティバルのオープニングセレモニーが催されます。毎年恒例のロシアにおける日本文化フェスティバルも、ロシアの人々の関心を惹いています。

 両国の政治および社会のエリートたちは、露日間には克服できない矛盾は存在していないという明白な事実を未だに認識していません。今は、暦の上で、日本において将来の皇帝ニコライ二世に対する暗殺未遂事件が起こった1891年ではありませんし、ソ連において地図で日本を指し示せない人ですら日本のスパイと呼ばれかねなかった1938年でもありません。ロシアは、日本にとって脅威ではなく、日本も、ロシアにとって脅威ではありません。ロシアは、商品や投資や先端技術のためのとても幅広い販売市場を日本に提供できます。今の300~350億ドルという年間貿易高は、ひじょうに少ない額です。けれども、たいへん残念なことに、現在、ロシアの有力者たちの間では日本に対する関心が低く、日本側からの反応も同様です。たしかに、日本は、外国のビジネスが根を下ろすのは難しい国であり、そこでは、腰を据えて狙いを定めた努力しか実を結びません。結局、私たちは、日本とのそれほど悪くもなくすこぶる好くもない関係を有しているようです。先頃、日本が、かなり控えめな形とはいえ、対露制裁に加わったことは、周知のとおりです。

 

解決できない問題はない 

 歴史の悪い面を忘れることはできませんが、それらがまったく克服できない障碍であるとは思えません。周知のとおり、米国は、日本国民に対して少なからぬ重大な戦争犯罪を行いました。1945年3月10日の東京大空襲では一日で10万人以上の民間人が亡くなり、大阪、名古屋、その他の都市もそうした空襲に見舞われ、1945年8月の6日と9日の広島と長崎への原爆投下ですべてが終わりましたが、地表から消されたそれらの都市は、事実上、何ら軍事的意義を有してはいないのでした。それでも、今の日米関係は、奇妙なことに、ほとんど歴史の重荷を負っていません。そして、日本人は、日本はソ連との中立条約を忠実に遵守していたのにソ連側が1945年の夏に突然それを破棄した、と未だに信じており、それ以来、関係の維持を妨げる未解決の「領土問題」は、今も「喉に刺さった骨」でありつづけています。

 そうしたアプローチは、批判に耐えず、戦後は、経済や社会の分野を初めとする交流がさかんに発展する時期がありました。1970年代、ソ連は、「領土問題」の存在をまったく認めていませんでしたが、まさにその頃、ヴォストーチヌイ港の建設やヤクートの石炭鉱床およびシベリアの森林の開発といったシベリアおよび極東を対象とした大規模な共同開発プロジェクトが実現されました。まだわが国の一部の上層部がそれをかなり疑問視していた頃にサハリン大陸棚における産地の開発を始めるよう主張したのは、まさに日本側でした。

 ようやく、1990年代の末に、両国関係の真のブームが見られ、軍事機構や司法機関の間の交流さえ始まり、経済関係が急激に発展しはじめました。つまり、政治的意志があれば、多くのことを改善できるのです。良好な友好関係と深化した交流があればやがて平和条約の問題も解決できる、というロシア側がかねてから提案しているパラダイムは、いたって現実的なのです。けれども、けっしてその逆ではありません。日本側は、まず係争の領土が私たちのものであることを認めてください、それから私たちは関係を発展させます、と言うのですが…。日本が対露制裁に加わった今「領土問題」をめぐる何らかの進展が可能であると考えるのは、ナンセンスです。というのも、双方は互いに対して何らかの好ましからざる行動をとらず善隣的な協力を行うと必ず明記されなくてはならない申し分のない平和条約が問題となっているのですから。何かを変えるためには、両国関係のすべての分野における建設的な協力の途に立ち返る必要があり、そのためのあらゆる根拠はあるのです。

 

「すみやかな成果を期待すべきでない」 

 日本は未だにごく少数の外国人しか常住していないかなり閉鎖的な国ではありますが、人的交流のレベルには大した問題はないと思います。ロシアからの観光客がさほど多くないのは、日本は物価が高く、この危機的な時期にあってはさらに高くなっているからでしょう。今もっとも大事なのは、わが国の政治および企業のエリートたちが日本へ顔を向けるようになることです。ウラジーミル・プーチン氏は、つねに日本の問題に関心を抱いており、露日関係における動きをひじょうに注意深く見守っています。けれども、率直に言えば、日本との関係の発展を本気で重要と考えている人の名を挙げることは、まれな例外を除いて難しく、日本の政治家の間でも、ずっと以前からロシアに対しては冷淡なのが当たり前となっています。かつて両国関係の発展を促すべく露日賢人会議の創設が試みられましたが、うまく軌道に乗りませんでした。今こそ、そのプロジェクトへ立ち帰り、きわめて切実でデリケートな分野における両国関係の拡大を促すようなそうしたロシアと日本の優れた政治家や社会活動家や学者らで構成される共同グループを編成すべき時なのではないでしょうか。

 こうしたなかで、日露フォーラムは、このうえなく重要です。それは、すでに現代の危機による試練に耐えてきました。両国関係の複雑さにもかかわらず、このフォーラムは、定期的に開催されており、大きな関心を呼び起こし、両国および両国民が互いに深い関心を抱きあっていることを証明しています。けれども、この関心は、たえず温めていなくてはなりません。フォーラムは、両国関係の経済的課題をかなり前向きに解決しており、今必要なのは、社会的なレベルでもさかんな協力を組織することであり、そのためには、先に述べた賢人たちを招き寄せなくてはなりません。私たちは、もっと頻繁に話し合い、共同プロジェクトについて協議する必要があります。両国関係においては、すみやかな成果を期待すべきではなく、まさに「ロシースカヤ・ガゼータ(ロシア新聞)」と「毎日新聞」のイニシアティヴが目指している長期的な協力について考えるほうが、理に適っています。

 

*記事全文(露語)は、雑誌「ロージナ(母国)」2015年4月号に掲載された。

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