ゴルビー時代の分岐点に戻るのか

写真提供:ウラジーミル・スタヘエフ

写真提供:ウラジーミル・スタヘエフ

政治学者で「世界政治の中のロシア」誌編集長のフョードル・ルキヤノフ氏は、ウクライナ情勢の原因をウクライナという国の弱さ、ヤヌコビッチ大統領を追放した政権のうかつな行動にあると考える。また、ロシアは西側との協力の道をこれ以上進まないと確信する。

 ルキヤノフ氏はウクライナ東部の紛争と国際的な影響をテーマとした講演を、全ロシア国立外国文学図書館で行った。

 ウクライナ軍と東部義勇軍の停戦合意が確固たるものとなることを期待しており、たくさんの困難が待ち受けているものの、今後は軍事的方法ではなく、政治的方法で解決されていくだろうと述べた。ロシアとウクライナが「ほとんど戦争」状態になった現状は、ロシア、西側、ウクライナの政策の完全な崩壊を証明している。

 

成立しなかった国家体制が原因

 ウクライナが独立して20年強になるが、強い社会とならなかったことが破裂の原因となり、この火薬樽の導火索を燃やした火花は何にでも変化する。ウクライナ社会で年々増大していった矛盾が、この情勢の原因だという。親欧米のウクライナ西部と親ロシアのウクライナ東部の対立という単純な問題ではない。ウクライナ社会は、非常にたくさんの要因にもとづいて分裂していたし、その状況に変化はない。

 「ウクライナではオリガルヒ(新興財閥)政権が国家モデルの基礎になってしまった。『独立広場』と革命はすべてを破壊してしまったのに、新興財閥がそのまま居残ったことは驚き。ウクライナ政治で我々が見ている登場人物は、ここ20年で国をこのような状況にまで追いこんだ人々そのもの」とルキヤノフ氏。

 同時にロシアと西側の関係も変化したという。ロシアは長年、西側との協調、同盟のために努力してきたし、今や西側の仇敵として名高いプーチン大統領も、アメリカ、ヨーロッパとの協力関係を目指していた。しかしながら、ロシアと西側は結局、理解し合えなかった。

 西側は自分たちのモデルをコピーするようロシアに提案していたが、平均的なヨーロッパの国として発展するには、ロシアはあまりにも特殊だったため、ロシアの指導部に受け入れられなかった。理解し合えなかったことは、ウクライナ情勢が始まった時の、ロシアと西側の接近の失敗、関係の冷え込みにつながった。ヨーロッパとロシアの綱引きが始まり、双方がウクライナを自分たちの影響下に置こうとした。

 ロシアへのクリミア編入は、ロシア政府にとって実用主義的な対処だったとルキヤノフ氏は考える。キエフであからさまな反ロシア政権が確立された場合、セヴァストポリから黒海艦隊を引き上げるという問題がすぐにでも生じたであろう。「ウクライナとは無関係な、さまざまな状況により、ロシアはクリミアから撤退し、南部の戦力投射を失うことを不可能だと見なしている」とルキヤノフ氏。クリミアの一件後、ドミノ効果が始まった。ウクライナ政府自体もそれを扇動。速やかな国家統合の代わりに、「独立広場は勝利し、独立広場に反対する者は黙るべき」というウクライナ東部を刺激するロジックに従いながら、非建設的な行動をとった。それが衝突に発展し、ロシアも関与を余儀なくされた。結果、流血の事態が発生。

 

ロシアの選択肢は「バック・イン・ザ・U.S.S.R.」?

 ウクライナ情勢をロシア政府が事前に計画していたことはあり得ない、とルキヤノフ氏は話す。不意に生じ、刻々と変化する状況に対応しなければならなかった。そして“実存的選択”の時が訪れた。これはゴルバチョフ氏が西側との協力路線を選択した、1980年代の分岐点に瞬時に戻る試みであった。このモデルは奇妙な結果をもたらしたことから、(ロシア政府を筆頭として)この分岐点に戻り、国家性、地位などを強化可能な違う道を進みたいという考えが生じた。ルキヤノフ氏は、このようなアプローチを正しいとは考えていない。少なくとも、昔に戻ることは不可能だからだ。今後その道を進むかは時間が示してくれるが、この先「震撼させられることはまだまだたくさん」あるという。