ウクライナの軍人を母国に送還へ

ユリア・ナスリナ/ロシア通信

ユリア・ナスリナ/ロシア通信

孤立地域での被害を回避するため、ロシアに入国したウクライナ軍の軍人は、キャンプ地に滞在している。コメルサント紙の記者は取材のため、キャンプ地入りした。滞在しているのは、1ヶ月前に南包囲圏と呼ばれる孤立地域に入ってしまった旅団。残りの旅団も近々同じ行動をとる可能性があるという。

帰国して仕事したい 

 ウクライナ兵は落ち込んでいるようには見えない。一時軍備に問題が発生したが、弾薬や糧食を軍用機から投下してもらうようになった。だがその後軍用機が撃墜されるようになり、困難な状況になったという。

 軍人の多くはウクライナ西部の出身者。平均年齢は3540歳。軍服や手荷物に問題はなく、兵士と将校の会話から、規則は守られているようだ。

 軍人はウクライナで刑事訴追されることを恐れ、自己紹介をしたがらない。

 キエフ州出身のユーリさん(50)は、自身の部隊が1ヶ月前に包囲されたと話す。「最後の4日間が特に厳しかった。迫撃砲でどんどん攻撃された。ロシアに入国する直前、防衛戦を11時間も続けた」。ユーリさんは、旅団の装甲車が「80%破壊された」ものの、戦車2両は封鎖をなんとか突破し、逃れることができたと話す。離れる前に破壊された戦車を写真に移し、息子に送ったという。「お父さんがただ降伏したと思わないように」と。ユーリさんによると、死亡した人を戦場に埋葬しなかったという。義勇軍は遺体と負傷者を運び出すことを許した。「ロシアに入ることを決めた時、約40人が負傷していた。死者も多かった」

 同じ旅団のミハイルさん(40)も「損失は大きい」と話す。キエフ州の農家出身者だ。クラスニー・パルチザン市周辺で部隊が伏勢とぶつかり、戦車が撃破されたという。「310日に10日間の訓練に召集された。その時は戦争の話は出ていなかった」

 記者と話した軍人の多くが、「帰国して仕事したい」と話した。だがウクライナに帰国した後でどうなるかはわからない。また前線に送られる可能性もあるという。

包囲された軍人を見捨てたキエフ 

 正式なデータによると、84日にロシアに入国したのは国境警備兵164人を含む、ウクライナ軍の軍人438人。人道的通路が開け放たれ、ロシアへの入国が許された。特別に設営されたキャンプで、軍人は「シャワーを浴び、きれいな服に着替え、食事をとる」ことができた。その後180人以上が国境検問所「マトヴェイ丘」経由で帰国した。 

 キエフも、「第72自動車化旅団の軍人の集団」が、ロシアへの越境を余儀なくされたことを認めた。アレクセイ・ドミトラスコフスキー軍事作戦広報担当は、包囲された軍人の軍備が尽きた後で、越境が決まったと話した。

 キエフの専門家によると、多数の軍人の越境は、南包囲圏の旅団がもうすぐいなくなることを示しているという。1ヶ月ほど前、ウクライナの軍人40005000人が、ドネツィク人民共和国とロシアの国境の間にはまってしまった。旅団の課題はドネツィク人民共和国をロシアから切り離すことだったが、結果的に自ら包囲される形となってしまった。

 包囲された旅団の軍備、糧食、飲料水が尽きた時、攻撃されてそのまま死ぬか、義勇軍に降伏するか、装甲車を犠牲にしつつロシアに入国するかの選択がつきつけられ、結果的に越境した。キエフの専門家によると、第72自動車化旅団と同じ行動を、南包囲圏にいる第28親衛機械化旅団と第78独立航空旅団もとる可能性があるという。そうなると、封鎖された旅団は事実上消えることになる。

 ウクライナ政府は前線の他の領域での成功を強調し、義勇軍に対する勝利が近いとの見解を示しながら、封鎖された軍人の話にあまり触れようとしていない。ユーリ・ルツェンコ大統領補佐官は、キエフに「予想外となるであろうドネツィク掌握計画」があると話した。

 

記事全文(露語)


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