ベレゾフスキーの死は90年代の終焉

AP撮影

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ボリス・ベレゾフスキー氏が、先週土曜日(23日)にイギリスでその生涯を閉じた。同氏の名は、ロシアで新興財閥が政権に及ぼしていた負の影響、ときに犯罪的な影響のシンボルだった。

 才気煥発な政治手法の達人、明敏な頭脳の持ち主、また政府を利用しながら政治やビジネスの問題を巧みに解決していた「クレムリンのゴッドファーザー」ことベレゾフスキー氏は晩年、かつてのような政治、金融面での影響を完全に失っていた。ここ数年は、資産の分割や、昔のビジネス・パートナーとの法廷争いの失敗といったスキャンダルばかりが取りざたされていた。

 

科学者から政商へ 

 ベレゾフスキー氏は1990年代初めまで、ソ連の科学界の典型的なキャリアを積んでいた。1945年にモスクワで生まれ、モスクワ大学で数学の学位を取得し、1960年代末に制御系の問題に取り組み、37歳の時に学位論文の公開審査に合格して、45歳の時にソ連科学アカデミー準会員になった。

 ソ連の経済システムが自由化された1980年代末は、同氏にとって大きな転機となった。ソ連国営ヴォルガ自動車工場(VAZ)の幹部と個人的につながりがあったことから、1989年に合弁会社ロゴワズ(LogoVAZ)の社長に就任した。

 ベレゾフスキー氏は自身の金融帝国の基礎を築くと、政治への関与を強め始めた。クレムリンとの距離を縮めたことで、1995年に行われた一連の民営化事業の競売に参加することができた。この競売では、石油や冶金といった大手の国営会社がいくつかの金融グループの手に渡り、ベレゾフスキー氏のグループには石油会社シブネフチ(Sibneft)という千両箱が渡った。

 

アエロフロートに伸ばした触手が裏目に 

 アエロフロート(Aeroflot)にも興味を示したが、これは裏目に出てしまうことになる。ロシア政府は、ベレゾフスキー氏が正式な民営化手続きを行うことなく、自身の代理人を通じてアエロフロートの資金流動を民営化しようとし、国に財政的損害を与えたとし、刑事起訴の対象とした。そして数年に渡る法廷での争いの末、同氏は2007年に6年の禁固刑を言い渡された。

 ベレゾフスキー氏が自身の資産の額について、正式に発表したことはないが、数十億ドル(数千億円)ほどと推測されている。ここ数ヶ月は、昔のビジネス・パートナー、裁判所、元妻らに支払いをするため、自身の資産を売却しなければならない状態に陥っているとの情報がしばしば流れていた。

 

政府の要職を歴任後、亡命
 ベレゾフスキー氏は、国のさまざまな要職についていた。1996~1997年にはロシア連邦安全保障会議副書記、1998~1999年にはCIS(独立国家共同体)執行書記、1999~2000年には下院(国家会議)議員を努めた。

 ボリス・エリツィン氏が1996年に大統領に再任する際、ベレゾフスキー氏が後押ししたと言われている。

 ベレゾフスキー氏は1999年に下院議員になって1年もしないうちに、議員権限を自ら放棄し、その後は政治亡命者としてイギリス・ロンドンに出国してしまった。

 ベレゾフスキー氏は出国の理由については、プーチン氏との意見の相違だと話していた。プーチン氏が2000年に大統領に就任したばかりの頃は支持したが、その後ロシアを正しくない道に導こうとしていると分かったのだという。

 一方で政治学者はこの出国について、ベレゾフスキー氏がクレムリンの決定に対して影響力を残そうとしたために、厳しい“しっぺ返し”を受けたと説明する。

 

一つの時代が終わった

  元下院副議長で、大統領選挙にも立候補した経験のあるイリーナ袴田氏は、ベレゾフスキー氏の死がロシアの社会・政治課題に影響することはないと考える。

 「ベレゾフスキーという名前はもう伝説になっていた。彼は、スキャンダルと挑発のヒーローだった。その死とともに、この物語も終わった」。

 政治工学センターのアレクセイ・マカルキン所長は、この袴田氏の意見に賛同する。ベレゾフスキー氏はかなり以前に、ロシアの社会・政治生活から離れてしまっていた。「ベレゾフスキー氏にはここ10年、いかなる影響力もなかった。今は世間であまり興味を持たれていない」。

 ベレゾフスキー氏の同志、アレクサンドル・ゴリドファルブ国際人権擁護基金理事長は、現在のロシアの生活において、ベレゾフスキー氏が軌跡を残していないものはないと考える。「あくまでも重要なのは、一人の成功例であるということだ。多くの人間にとって、国家が崩壊した時に大成功を遂げた人物の象徴となっている」。

 下院議員で、下院マスコミ・情報政策委員会の委員長であるアレクセイ・ミトロファノフ氏はこう話す。「ベレゾフスキー氏の死は、ある意味1990年代という時代が終わったことを象徴している」。

 時事評論家のアレクサンドル・アルハンゲリスキー氏も、ベレゾフスキー氏の死によって、ある時代が終わったと考える。「それはもはや歴史的過去だ。冒険的で大胆不敵で卑劣、スケールが大きいがケチ臭くもあり、とにかく前後の見境のない時代だった。そんな時代がベレゾフスキー氏の死とともに終わった。こういった人々は、生存時は非難され、死後は本を書かれたり、映画を撮られたりするものだ」。

 

「ロシア通信」「ヴズグリャド」、「ガゼータ・ル」の記事を参照。