ロシアの新“東方外交”

ロシア産天然ガスを黒海経由で中東欧に送るガスパイプライン「サウス・ストリーム」は建設中止となった。プーチン大統領は、この決定を公式訪問中のトルコで発表し、その一方で、同国へのガス供給量の増加について合意した。トルコ経由でEU(欧州連合)にガスを送る可能性もある。

画像:ナタリア・ミハイレンコ

 とはいえ、この決定はセンセーションとは言い難い。欧州委員会は、ロシアの企図を盛んに妨げようとしてきたし、EUもロシア産ガスがもたらすという政治的脅威について絶えず発言し、ロシアへの依存度を低めることを目標として宣言しているからだ。

 一方、ロシア経済もバラ色というにはほど遠く、余分な投資の資金はないから、優先すべきものを選ばねばならない。おまけに、石油・ガスの価格は下落を続けている。こういう条件の下では、好況下でさえ収益が怪しい高額なプロジェクトを推進し続けるのは、奇妙な執着ということになるだろう。 

いかに「ストリーム」が生まれたか 

 サウス・ストリームは、2000年代後半~2010年代初めの時代の産物だ。当時ロシアは、EUとの緊密なパートナーシップをさらに新たな段階に押し上げられると期待していた。それは、“政治的に過敏な”、中間に位置する国々を迂回することで(直接的な意味でも転義でも)、実現されるはずだった。そういう国の筆頭がウクライナだったわけだ。

 2000年代初めには、これとはまた異なる理念があった。それは、ウクライナをEUへのガス供給システムに統合してしまおうというもの。つまり、ソ連時代に機能していた単一のシステムを、別の基盤にもとづいて再建しようというのだった。それで2002~2003年には、3極のガス・コンソーシアム「モスクワ・キエフ・ベルリン」について話し合われたが、これを推し進めることはできなかった。その後は、キエフのマイダン(欧州広場)での大集会、政変の時期が訪れ、建設的な対話はなされなくなった。

 こうして、「ストリーム」の時代が始まった――バルト海の海底を通ってドイツにガスを供給するノース・ストリームと、黒海の底と欧州南東部を通りオーストリアとイタリアにガスを運ぶサウス・ストリームだ。

 その際、ロシアはこう考えていた。EU自身がガス供給の遅滞を嫌っているのだから、こうしたルートの分散を歓迎するはずだと。ところが両者の政治的関係が損なわれたため、エネルギーは経済ではなく、安全保障のテーマとなった。

 それでもノース・ストリームが実現したのは、ドイツの断固たる立場のおかげだ。同国は、ウクライナ経由のガスに問題が生じた場合の“保険”を欲しがっていたし、バルト三国、ポーランド、スカンジナビア諸国の不満を抑える力も持っていた。しかも、独露間を陸上で経由する国はないのだから。

 2014年の一連の事件は、ロシアが優先順位を根本的に見直すきっかけとなった。EUとの「戦略的パートナーシップ」は見る見る崩れ始めた。原因は、“中間国”に対する双方の見方の乖離だ。制裁を含む敵意の現れは、他に選択の余地がないように思われていた経済協力さえ損なった。

 

西独の東方外交 

 ロシアからの欧州方面へのガス供給の基礎を築いたのは、1960年代の合意で、それは70年代、80年代に著しく拡大され、長年にわたり地政学的ベクトルを定めることになった。60年代末に西ドイツのヴィリー・ブラント首相が始めた、この東方外交(ソ連および社会主義陣営との根本的な関係改善)も、少なからずこの要因に基づいていた。西独(後には統一ドイツ)の経済は、東方の市場における堅固な立場を必要としていたのだ。

 ドイツ、イタリア、その他のストリームの“受取人”の顔ぶれは、ソ連(ロシア)と欧州のガスによる緊密な相互依存関係の始まりから変わらなかった。中東戦争が起きていた40年前、シベリアの資源は、欧州にとって、政情不安な中東の供給者への依存度を下げる方便となったが、今や「旧世界」は、ロシアからの輸入を危険とみなすようになった。それがどの程度正しいかはまた別の話だが、いずれにせよ、ウクライナをめぐる状況が極めて否定的な役割を演じたのは明らかだ。

 

新たな東方外交の始まり 

 ロシアとEUの関係は急激に冷え込んでおり、その結果として、新たな“東方外交”が始まりつつある。ただし今回は、ドイツではなくロシアから。中国とのガス関連の一連の協定、アジアでの外交の活発化、消費者、中継国としてのトルコの選択、イランとのエネルギー分野での取引…

 この変わりつつある外交政策は、60~70年代の決定におとらず長期にわたり地政学的方針を決めてしまう可能性がある。もちろん、その道のりは平坦なものではなく、新しいパートナーたちとの関係は、古いそれより容易ではなく、大きな努力と資金が――ときにリスクをともなう――が必要になることもあろう。それに、ロシアと欧州は、当然のことながら、関係を断絶するわけではなく、調印済みの契約は、今後数十年にわたって履行されていく。にもかかわらず、アジアの世紀における東方への転換の必然性は言を俟たない。ましてや西欧自身がそちらへ押しやったのだから。

 

記事全文(露語)

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