スターリングラード攻防戦の意義

=ロシア通信撮影

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スターリングラード攻防戦は、第二次世界大戦全体の転機になった。これに先立ち、1942年11月に北アフリカのエル・アラメイン戦いで、無敗のロンメル将軍が連合軍に破れ、北アフリカから駆逐されていたが、これはチャーチルの言葉を借りれば、「始まりの終わり」にすぎなかった。今からちょうど70年前の1943年2月2日に、スターリングラードで独軍が、陸軍の全兵力の4分の1に当たる大損害を出してソ連軍に敗れた時こそ、「始まりの終わり」は「終わりの始まり」となった。

北アフリカで、それまで無敗を誇ったロンメル将軍率いるドイツ・イタリア枢軸軍は、中東の油田地帯、さらには、ソ連のカフカスの油田地帯にまで手を伸ばすことをねらっていたが、そこで、スターリングラードの死闘が始まり、独軍は兵力をこっちに集中したため、そこをついた連合軍にロンメルは破れ、北アフリカから駆逐されてしまった。

しかし、チャーチルは、「これは終わりではない、終わりの始まりですらない、が、おそらく、始まりの終わりであろう」と、冷静な見方を示していた。

これに続き、スターリングラード攻防戦で、独軍が厖大な人的、物的損害を被り、もはや大攻勢に出る余力が失われたからこそ、「始まりの終わり」は「終わりの始まり」に転化したのだ。ここに、この半年間におよぶ死闘を制したソ連軍の勝利の意義がある。

ところが、西側の史家のなかには、“反発心”から、全体の状況から切り離して、エル・アラメインの戦いが第二次大戦のターニングポイントになったと主張する者がいる。

この二つの戦いは、あくまでも全体の流れのなかで、その規模、損害などをふくめ、総合的に判断しなければならない。

そこで、2つの戦いの規模と損害を比較してみよう。これによって、いつ「終わりの始まり」が始まったかが明らかになるだろう。

二つの戦いの規模の比較 

この点を検証すべく、二戦の軍事戦略面を比較してみたい。まず戦闘領域から見てみると、スターリングラード攻防戦は約10万平方キロの広大な領域で繰り広げられたが、エル・アラメインの戦いは狭いアフリカの海岸で行われた。

軍備では、スターリングラード郊外のさまざまな交戦で、ソ連軍とドイツ軍から合わせて兵員210万人以上が参戦し、大砲や迫撃砲2万6000挺以上、戦車2100両、戦闘機2500機以上が使用された。ドイツの総司令部は、この戦いに兵員101万1000人を動員し、火砲1万290挺、戦車675両、戦闘機1216機を導入した。

一方でエル・アラメインの戦いでは、ロンメル率いるドイツ・アフリカ軍団の兵員はわずか8万人で、戦車540両、火砲1200挺、戦闘機350機を使用した。

期間では、スターリングラード攻防戦は200昼夜続いたが(1942年7月17日から1943年2月2日まで)、エル・アラメインの戦いは11日間行われただけだ(1942年10月23日から11月4日まで)。二つの戦いの緊張度や激しさの違いについて、ここでは触れない。

損害の比較 

エル・アラメインの戦いでは枢軸国軍が兵員5万5000人、戦車320両、火砲約1000挺を失ったが、スターリングラード攻防戦では枢軸国の喪失が10~20倍ほどで、約14万4000人が捕虜になり、33万人の軍団が壊滅した。ソ連軍の喪失も甚大で、47万8741人が死亡した。多くの兵員の死亡を防ぐことはできたはずだが、この犠牲は決して無駄にはならなかった。

次に、軍事政治面を比較してみたい。スターリングラード攻防戦は、ヨーロッパの主要な舞台で起こったが、エル・アラメインの戦いは軍事活動の二次的舞台である北アフリカで起こり、第二次世界大戦に及ぼした影響は間接的だった可能性もある。世界は当時、エル・アラメインの戦いではなく、スターリングラード攻防戦を注視していた。

スターリングラード攻防戦の影響 

スターリングラード攻防戦におけるドイツ国防軍の敗北と多大な喪失は、ドイツの軍事政治・経済的状況を悪化させ、危機的状況に追いやった。また、ドイツ軍の戦車と軍用車の喪失はドイツの軍事工場の6ヶ月分の生産量に匹敵するほどで、これを補うために、軍事産業は血眼になって働かなければならなかった。ドイツ軍の兵員不足もさることながら、精神的打撃も深刻なものとなり、敵前逃亡や指揮官の命令不服従が急増し、犯罪も多発するようになった。

スターリングラード攻防戦での赤軍の勝利は、枢軸国(イタリア、ルーマニア、ハンガリー)を震撼させ、それぞれの軍内部に激しい混乱と対立を巻き起こし、日本とトルコの指導部を落胆させた。

また、これに続く1942年から1943年の冬季戦役にも影響を及ぼし、ドイツの国際舞台における孤立はますます高まって行った。

これらの事実から、スターリングラード攻防戦こそがドイツ国防軍の中枢に打撃を与え、第二次世界大戦が連合国軍側に有利な方向へ傾いて行ったと言えるだろう。正確に言えば、スターリングラードが傾けたのだ。

上級大将、軍事科学アカデミー所長、マフムト・ガレエフ

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