東京でゾルゲ生誕120年行事

 ソ連の伝説的な諜報員リヒャルト・ゾルゲの生誕120年献花式が4日、東京の多磨霊園で行われた。

 ロシア大使館の武官は、ゾルゲの墓の前に儀仗兵を配置。在東京ロシア大使館付属ソ連邦英雄リヒャルト・ゾルゲ学校の生徒や外交官らは、ゾルゲの墓に花や花輪を置いた。

 ゾルゲは1895年10月4日、アゼルバイジャン共和国の首都バクーで生まれた。ゾルゲは独ソ戦勃発前に、ナチス・ドイツ軍によるソ連侵攻、ナチス・ドイツ軍自体に関する正確な情報を得ていた。1941年秋、日本によるソ連侵攻はないとの情報を伝えたことで、ソ連政府はシベリアの師団をモスクワの防衛に配置換えすることができた。

 ゾルゲは1933年、ドイツの新聞の特派員として来日。記者の仕事とソ連の諜報員の仕事をこなした。分析記事が見事だったため、在日ドイツ大使館にも出入りできるようになり、やがてその魅力、知識、知性によって武官とも友だち関係になれた。その後、大使館の広報担当者の仕事を提案された。ゾルゲは大使館内の国家社会主義ドイツ労働者党細胞を率いるよう頼まれたという情報もある。

 ゾルゲの魅力を、日本の捜査官も認めずにはいられなかった。捜査官はゾルゲについてノートに、「犯罪者であり、私はこの事件を担当したが、魅力的な人物であった」

 刑務所に入所していても、ロマンチックなオーラを放っていた。一説によると、自分がソ連のためにスパイ活動を行っていたことを認める代わりに、自分のグループの女性メンバーを起訴しないよう求めたという。ゾルゲはヘビースモーカーだったため、死刑執行の前、最後の願いとして、タバコを吸うことを望んだ。

 巣鴨プリズンで死刑に処されてから20年後の1964年、ゾルゲにはソ連邦英雄の称号が与えられた。

 

記事全文(露語)

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