日露戦争で捕虜となったロシア兵 慰霊祭

日本の松山市にあるロシア兵墓地で今週、慰霊祭が行われた。同ロシア人墓地には、1904-1905年の露日戦争で捕虜となったロシア人兵士98人が埋葬されている。

 松山市のロシア兵墓地では、毎年慰霊祭が開かれている。墓地では、正教徒をはじめとした地元の人々が清掃活動を行っているため、手入れが行き届いている。松山では戦時中および戦後も、およそ6千人のロシア兵が、非常に人道的な環境の中、十分に幅広い自由を与えられながら収容されていた。階級が低い兵士たちは、観光をしたり、仕事をすることもでき、給与は悪くなかったという。将校たちは、祖国から妻を呼び寄せ、監視なしで自由に散策したり、温泉に行くこともできた。

   また、ロシア人将校と日本人女性の愛の物語も有名だ。松山では、井戸からロシアの10ルーブル金貨が発見された。そこには、ロシア人の青年将校ミハイル・コステンコと、将校を愛した女性看護師タケバ・ナカ、2人の名前が刻まれていた。 

   露日戦争では、7万4千人以上のロシア兵が日本の捕虜になった。そのなかには、戦いで受けた傷や病気が原因で死亡した兵士たちもいた。

 

(「ロシアの声」より転載)