皇帝一家が離宮で過ごした最後の夏

 丸坊主の大公女たち、アナスタシア、タチアナ、オリガ、マリア。これは別に革命家に無理やり剃られたわけではなく、彼女たちが自分で剃ったのである。彼女たちがみな麻疹(はしか)にかかった後で、髪の毛が変な伸び方をしたからだ。

 丸坊主の大公女たち、アナスタシア、タチアナ、オリガ、マリア。これは別に革命家に無理やり剃られたわけではなく、彼女たちが自分で剃ったのである。彼女たちがみな麻疹(はしか)にかかった後で、髪の毛が変な伸び方をしたからだ。

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 最後のロシア皇帝ニコライ2世とその家族が、護送先のエカテリンブルクのイパチェフ邸地下室で殺害されたのは1918年7月17日未明のこと。その1年前の3月にニコライ2世は退位させられており、この年の夏を、サンクトペテルブルク近郊の離宮ツァールスコエ・セローで過ごしている。それは皇帝一家がその最高の地位を曲りなりにも享受できた最後の夏であった。常に監視の護衛付きではあったが、一家は散歩したり、読書したりして夏の日々を楽しんだ。
 「この日、武器庫沿いの、3本の道が交差している所で、私たちは大きなモミの木を切り倒した。 巨大な火の手が上がっており、太陽が赤みを帯びていて、空気中には、たぶんどこかで燃えている泥炭の灼熱した匂いが漂っていた。私たちはしばらくボートを漕ぎに行った。夕方は、8時まで散歩した。私は『モンテ・クリスト伯』を読み始めた」。ニコライ2世は1917年6月5日付の日記にこう書いている。//写真:ニコライ2世と娘アナスタシア、そして召使たち。ツァールスコエ・セローのアレクサンドル宮殿の庭園にて。
 ニコライ2世の日記はややナイーブに思われところもある。息子の皇太子アレクセイに地理学のレッスンをして楽しかったとか、読書、セーリングのことや、庭園でのひと時のことなどについて語っている。しかし時にツァーリは、ロシアの将来と現在の革命的な出来事に対し、深刻な懸念を表している。「昨日、我々はコルニーロフ将軍がペトログラード軍管区の司令官を辞任したことを知ったが、今日の夕方は、グチコフ(2月革命後に成立した臨時政府の陸海軍大臣――編集部注)の辞任を知った。どちらも同じ理由だ。労働者ソビエト、およびそれよりもはるかに過激ないくつかの組織と軍幹部による無責任な干渉だ。神は哀れなロシアのために何を用意しているのだろうか?神の御心が成就せんことを」
 皇太子アレクセイはニコライ2世夫妻の末っ子だった。その夏、彼は13歳になったが、深刻な病気で血友病に苦しんでいた。イギリスのビクトリア女王の他の子孫も苦しんだ病気だった。 //アレクサンドル宮殿庭園の池でアレクセイが入浴する。
 アレクサンドル宮殿庭園で休息する、皇帝夫妻の娘、タチアナとアナスタシア。 タチアナはお気に入りのフランスのブルドッグ「オルチノ」を抱いている。皇帝一家殺害後、オルチノはグリゴリー・ニクーリンとアレクセイ・カバノフに殺された。
 「夜、雨が降ったので、この日はかなりすがすがしかった。昼間、私たちは散歩し、2本の小さなモミの木を切り、鋸でひいた。アリックス(ニコライは妻アレクサンドラをこう呼んだ――編集部注)は、私たちと一緒に森の中に座っていた。夕食後、ベンケンドルフ夫妻が来訪した」。ツァーリは1917年7月23日にこう書いている。
 ツァーリは、アレクサンドル宮殿の庭園に出るときは、監視護衛付きだった。「ある日、ライフル銃を持った4人の兵士が私についてきたので、私はこれを利用して、一言も言わずに、さらに公園の遠くのほうに進んでいきました。 それ以来、私は毎日、公園で長い散歩をするようになり、午後には乾燥した木々を伐採しています」。ニコライは妹クセニアに手紙でこう書いている。
 さまざまな回想や彼自身の日記によると、ニコライ2世は身体的な運動、体操に熱中していたほか、木を伐採するのがお気に入りの仕事の一つだった。ガーデニングと野菜の栽培も好きだった。 //近衛連隊の兵士の一人とともに。
 ニコライは、1889年の日記に、将来の妻についてこう書いている。「私の夢はいつかヘッセン大公国のアリックスと結婚すること。 私は彼女を長年愛してきたが、1889年に彼女がサンクトペテルブルクで6週間過ごして以来、より深く熱く愛するようになった」。その皇后アレクサンドラは、健康に問題を抱えていた。若い頃にジフテリアにかかったことがあり、リウマチの持病もあった。それが5人の子供の出産や、息子アレクセイの病気のための心痛などで悪化していた。
 監視護衛付きで夏を過ごしたのち、8月1日、皇帝一家はシベリア西部のトボリスクに移され、最後の日々を送ることになる。皇帝一家殺害事件の捜査によれば、このエカテリンブルクのイパチェフ邸地下室における惨劇の模様は次のようだった。 「皇帝は部屋の中央に立ち、息子と妻は、その隣に座っていた。4人の娘と召使たちは壁に寄りかかっていた。処刑執行者を率いたヤコフ・ユロフスキーはツァーリに、あなたは死なねばならぬと宣言した。ニコライは『なんだって?』と聞き返し、ユロフスキーのほうに進み出ようとした。ユロフスキーは皇帝の顔に向け、まともに拳銃を発射し、さらにアレクセイにも銃口を向けて撃った。他の処刑執行者も撃ち始め、まもなく部屋は血の海となり、硝煙の匂いが充満し、阿鼻叫喚で満ちた。最初の一斉射撃の後、3人が生き残った。メイドのアンナ・デミドワは軽傷で、枕で身を守りながら部屋のなかを逃げまどったが、ライフルの台尻で殴られ、銃剣で刺された。アナスタシアは叫んで、彼女の足にしがみつこうとした。兵士は彼女の足を床に押し付け、ライフルで殴って殺した。 アレクセイが呻り声をあげると、ユロフスキーは頭に銃弾を2発撃ち込んだ。他の人たちも、銃剣でとどめを刺された」