50日間の夏:恋愛、酒盛り、橋と白夜のサンクトペテルブルク

 「白夜を見に来る人々の中には、それを目にして早死にしてしまう人がいます。早死にの素因となるような首都は他にありません。ニューヨークやパリ、モスクワは、人々が長生きしたり一生懸命働くような場所です」。イリヤ・ストゴフ、ロシア人詩人・作家 / グリボエードフ運河、2016年7月。

 「白夜を見に来る人々の中には、それを目にして早死にしてしまう人がいます。早死にの素因となるような首都は他にありません。ニューヨークやパリ、モスクワは、人々が長生きしたり一生懸命働くような場所です」。イリヤ・ストゴフ、ロシア人詩人・作家 / グリボエードフ運河、2016年7月。

セルゲイ・ゴオリン
 サンクトペテルブルクの夏は短く、雨の日が多いが、素敵なものだ。この街の夏をとらえた白黒写真を、北国の短い夏が、500万人のサンクト住民にとって果てしなく続く時間であることをはっきり示す、地元民の言葉と共にご紹介する。
 「勉強のためモスクワに来た時に私が最初にしたかったことは、モスクワ川を見ることでした。でもモスクワ川は小さいので、あちこちで船舶が行き交う大きなネヴァ川にはとても及びませんでした」。サンクトペテルブルク出身のデザイナー、スタースさんはこう言う。/ 2016年7月。
 「今年の7月のサンクトペテルブルクはソチのようだ。ゆっくりとした動きの群衆は、ネフスキー大通りをぶらついている。日光が当たっている側の通りは、まるでスローモーションで見る映画のシーンのようだ。その雰囲気は海辺特有の幸福感で満ちている。否定的なことを口にする人はどこにもいない。悪いことといったら、宿泊客や観光客に対するホスピタリティが不足していることくらいだ」。レフ・ルリエ、歴史家。ガレージでのサマーパーティー、2016年。
 サンクトペテルブルクの天候についてよく耳にするジョークは、次のようなものだ。「今年の夏は暖かくて晴れていたけれど、その日は仕事をしていたんだ」/ 兄弟、2016年7月。
 「夜に橋が開く様子は、夏場の散歩では必見です。でも、多くの観光客がこれを観光スポットとしか考えていないというのはおかしな話ですね。サンクトペテルブルクはロシアでも最大級の港町なので、ネヴァ川を船舶が通過できるように橋が開くのです」。サンクトペテルブルクのファンでガイドのレーナさん。アニチコフ橋、2016年6月25日。
 「今年の7月のサンクトペテルブル「ピーテルの夏の牧歌は、地元住民と偉大な建築風景との間の相互的な好意的感情に表れているが、ひょっとするとそれには輸入品の強制的な置換も関連している可能性がある。」歴史家のレフ・ルリエ氏。
 「水と石が、水平方向に広がるその壮大な様式の特徴だ。善意が、不健康そうな様子、借金、絶え間のない自分に対する皮肉と同じくらい日常的な都市だ」。セルゲイ・ドヴラートフ、『手仕事:二部構成の物語』。/ 午前5時。イサアキエフスカヤ広場、2016年8月。
 「私は、ペテルブルクの気候は身体に毒だし、私のような貧弱な財産しかない者には、ペテルブルクの生活費は高すぎる、と言われている。そんなことは、経験と知恵が自慢の助言者どもや知ったかぶりに訊かなくても自分の方がよく分かっている。しかし、私はペテルブルクに残るのだ。ペテルブルクからは絶対に離れない!私はここを離れつもりはない、その理由は…、あぁ!私がここを離れようと離れまいと、どうでもいいことじゃないか!」。フョードル・ドストエフスキー、『地下生活者の手記』。/ 2016年7月。
 「…サンクトペテルブルク、全世界で最も抽象的で人工的な都市」、フョードル・ドストエフスキー『地下生活者の手記』。
 この短い夏は、冒険したり、マラソンを走ったり、日夜を通してウォーキングしたり、大がかりなパーティーを開いたり、屋根に上ったり、サイクリングしたり、通りや路地に沿ってせわしく走ったり、フィンランド湾の冷たい水につかって泳いだり、毎日のように雨に濡れたりと、盛りだくさんの時季なのだ。ロシアNOWは、(有名かどうかは別として) 地元住民の言葉と共に、サンクトペテルブルクとその夏の雰囲気を、素晴らしい写真を使って表現してみた。/ サンクトペテルブルクでマラソンを走る。
 「サンクトペテルブルクは単なる活気に満ちた都市ではありません。一年中が祝祭のようです。大通りから帝政時代の過去を彷彿とさせる華美な名残まで、ロシアが誇る「北のベネツィア」に感銘を受けないことは決してありません」と、レーナさんは自らの想いを明かす。
 「…私はサンクトペテルブルクのワシーリエフスキー島で生まれ育ちました。素晴らしい場所ですが、橋が開いている時は帰宅できません。地下鉄が運行していない時は帰りようがないのです。私が経験した一番とっぴな出来事は、橋がつり上げられる寸前のことでした。私は原付自転車で猛スピードで走っていたのですが、橋の係員が走り出てきて、私に向かって叫んでいました。でも私は彼を無視して、開きかけていた橋の片方からもう片方へとほとんどジャンプするように渡ったのです。あの時は本当に川に落ちそうになりました」。デザイナーのスタスさんはこう語った。/ 2016年6月。
 サンクトペテルブルクはパーティーの場所であると共に、半分秘密の場所でもあります。ヨーロッパのように、空き家が近くカフェやバーに変遷し、近所の住人から苦情がくるまで営業するようになっています。すると警察が来て、宴会が終わるのです」と、スタースさんは言う。/ 2016年5月。
 「ピーテル (サンクトペテルブルクの略称) とモスクワは、離婚した親のような存在で、ピーテルが父親、モスクワが母親だ。もちろん自分が一緒に暮らすのは、横柄でおしゃべりで、強健な、40代くらいのキャリア志向で陰口をきくような母親だ。一方で、父親は年に1回週末に訪ねるような人だ。そのような機会に、父親はお茶やクランペットでもてなしてくれて、「アメリカ橋の下のオブヴォドノイ運河沿いの小道は閉鎖されている」などのような格調高い詩的な発言で驚かせてくれるような人だが、概して家庭的で気取らない性格だ。モスクワに帰ると、稀にしか父親に会わないことに対し罪悪感を感じるのだ」。ヴェーラ・ポロズコワ、詩人/ 2016年7月9日。