露前衛芸術家が見た広島の悲劇

 ラバスはナチスドイツからのモスクワ防衛の目撃者かつ参加者(ラバスは1941年、屋上で番をし、ナチスドイツの空襲の際に爆弾の消火を行っていた)であったため、空襲をよく知っている。//死。第1画。1957年

 ラバスはナチスドイツからのモスクワ防衛の目撃者かつ参加者(ラバスは1941年、屋上で番をし、ナチスドイツの空襲の際に爆弾の消火を行っていた)であったため、空襲をよく知っている。//死。第1画。1957年

アレクサンドル・ラバス
 モスクワの「国立東洋諸民族美術館」で8月25日、企画展「アレクサンドル・ラバス 広島の残音」が開幕した。
 これらの作品は、日本の原爆で被災した二都市の悲劇の残音に包まれている。// 母と子。1957
 この展示会ではアレクサンドル・ラバス(1900~1983年)の作品が約30点展示されている。//爆発。第1画。1957年
 展示会の中心作品は、1957年から1970年代初めに描かれた23点の水彩画。ほとんどが初公開された作品。//火の中。1957年
 ラバスは20世紀前半のロシア・アヴァンギャルドを代表する画家。師にはマレーヴィチ、カンディンスキー、レントゥロフなどの有名な画家がいる。//運命付け。断片。1970年
 ラバスの作品の中で特別な位置を占めているのは、爆撃機と上空での破壊活動。//広島の恐怖。1957年
 ラバスは広島の作品の後、別の大惨事、大動乱のテーマとして、平和を目指す作品をいくつか描いた。//戦争なし。平和を目指すシリーズ。1981年
もっと読む:

このウェブサイトはクッキーを使用している。詳細は こちらを クリックしてください。

クッキーを受け入れる