2018年FIFAワールドカップに使われるスタジアムが建造60周年

 しかし海外でルジニキが最も強い印象を与えたのは、何っといっても1980年夏季五輪、とりわけその感動的な閉会式だろう。

 しかし海外でルジニキが最も強い印象を与えたのは、何っといっても1980年夏季五輪、とりわけその感動的な閉会式だろう。

セミョン・マイステルマン撮影/タス通信
 1980年夏季オリンピックを開催したロシアで最も有名なこのスタジアムは、2018年FIFAワールドカップの会場になるという新たな挑戦を受け入れた。開催時までには改修後の新しいイメージが公開される予定だ。
  モスクワのルジニキ・スタジアムが建てられたのは1956年で、それは1952年ヘルシンキ夏季五輪でソ連選手が初めて国際大会に出場した後のことだった。
  ヘルシンキ大会で予期せず優れた成績をおさめ、メダル獲得数で2位を達成したソ連の選手たちは、常設のトレーニング場所を必要としていた。ソ連の建築家や建設労働者は、わずか450日で新しいスタジアムを建てるという偉業を果たした。
 新しい巨大な建造物がウラジミール・レーニンの名にちなんで名付けられたことに驚きはない。1992年に、同スタジアムはルジニキと改名された。// 1960年ローマ夏季五輪でのソ連入賞者たちの勝利パレード
 このスタジアムは、レーニン 丘(雀が丘)とモスクワ国立総合大学の本館に隣接する、美しい立地に建てられた。
 ルジニキは1957年7月に第6回世界青年学生祭典の開会式を催し、輝かしいデビューを飾った。
 ソ連がこれほど重要性の高い国際的なイベントを主催したのはこの機会が初めてだった。
 この巨大なスタジアムは、共産主義社会の精神を誇示するためのスポーツの祭典行事の会場とするのにぴったりだった。 // 1959年。第2回全ソ連邦スパルタキアードの開会式
 ルジニキはソ連サッカーのメインスタジアムでもあり、ソ連代表チームの本拠地だった。このスタジアムでは1982年10月20日に、FCスパルタク・モスクワ対HFCハールレムの1982〜1983年UEFAカップの試合中に、将棋倒しにより66人が圧死するという最悪の惨事があった。// 1985年。ソ連対西ドイツの国際親善試合
 ルジニキのコンプレックスには、アイスリンク、テニスコート、年中を通して利用可能な屋外プールを含む多数の設備が収容されている。
 鉄のカーテンが崩壊した後は、ルジニキはモスクワの主要なコンサート会場となっており、マイケル・ジャクソン、マドンナ、メタリカ、レッド・ホット・チリ・ペッパーズなどのアーティストがここでコンサートを開催した。 // 1979年。ルジニキでコンサートを行ったエルトン・ジョン
 1997年には、観客を雨から守るために、ルジニキのスタンド上に日光を取り入れる天窓式の屋根が取り付けられた。ところが多くのファンは、大多数の席からフィールドが見にくくなったとして、このアリーナの改装を批判した。
 もう一つの汚点はこのスタジアムの人工芝で、それは怪我のリスクを高めるからだった。
 2008年のUEFAチャンピオンズリーグの決勝戦の際には天然芝に張り替えられたのだが、その試合後間もなく、再び人工芝に戻されたのだった。//モスクワのルジニキ・スタジアムで行われたチャンピオンズリーグ決勝戦サッカーの試合後に、トロフィーを手に優勝を祝うマンチェスター・ユナイテッドのクリスティアーノ・ロナウド。
 ルジニキの最近の栄光的瞬間は、モスクワがIAAF陸上競技世界選手権を開催した2013年8月のことだ。//モスクワのルジニキ・スタジアムで開催された世界陸上選手権で3度目の金メダル獲得を祝うジャマイカのウサイン・ボルト
 同スタジアムは現在、2018年FIFAワールドカップの開幕戦と決勝戦にむけて、不死鳥のごとく復活すべく、現在改修工事中だ。

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